2023年4月21日金曜日

大石みちこ(脚本家・東京芸術大学大学院教授)・マダム・バタフライの「声」に耳をすませて

大石みちこ(脚本家・東京芸術大学大学院教授)・マダム・バタフライの「声」に耳をすませて 

1965年、東京都生まれ。  東京芸術大学美術学部を卒業したのち、企業に就職。    広報を担当していましたが、2004年父親の病気をきっかけに仕事を辞めることになりました。  丁度その時に東京芸術大学大学院に映像研究科が設立されることになり、映画が好きなこともあって39歳で受験、合格して映像研究科脚本構成一期生となりました。   その後2010年の映画「ゲゲゲの女房」の脚本を手掛けるなど、理論と実践を同時に学びながら後進に育成にもあたり、この春からは東京芸術大学大学院映像研究科の教授になりました。  又、執筆活動も続けていて、「奇跡のプリマ・ドンナ 三浦環の「声」を求めて」を去年上梓しました。

 三浦環は今ではあまり知らない人が多いのではないかと思います。  グラバー園に三浦環の銅像がありますが、グラバー亭がマダム・バタフライとオペラの舞台になった場所に近いという事で建てられました。   実家のお墓が上野寛永寺の霊園にありますが、そこに一風変わった蝶々の形をしたお墓があり、バタフライと英文字で刻まれています。     オペラ歌手の三浦環のお墓だという事が後に判りました。  上野のお墓はお弟子さんが建てたという事も後から判りました。

コロナの関係で家にいることが多いので、三浦環のことを書いてみようと思いました。   資料などを集めたり図書館で調べたりしました。   三浦環は大正3年(1914年)に三浦政太郎さんと一緒にドイツ、ベルリンへ渡っています。   第一次世界大戦の勃発でイギリスのロンドンに逃げていきますが、交流のあった留学生の保住重任?さんという法学士が日記に残していました。  晩年山梨県山中湖村に疎開していましたが、そこにはアルバム、手紙、着物、アップライトピアノが残されていました。   他にも手紙を発見することが出来ました。   「エール」でも柴咲コウさんが三浦環を演じています。  山中湖村では去年はピアノが修復されてお披露目の会が催されました。  今年の2月22日(誕生日)には山中湖畔に銅像が完成、お披露目の会が催されました。 

三浦環は東京都出身で、東京・虎ノ門の東京女学館の出身で、お嬢さん学校で天真爛漫な性格を培ったのはこの女学校時代ではないかと思います。  海外に羽ばたいて、現地の一流の音楽家たちと一緒に舞台を踏んで、活躍していたという事は素晴らしい魅力の一つだと思います。   海外に渡る後輩たちにも力を注いだようです。  蝶々夫人を作曲したプッチーニにも会っています。   1946年に三浦環は亡くなっていますが、翌年に遺稿集『お蝶夫人』があります。   海外から来る演奏家などにも親切に対応したり、子供にも優しかったようです。(自身には子供はいない。)  猫、犬などの動物も好きだったようです。  海外に行った後はほとんど日本には帰ってこなかったようで、海外のオペラカンパニーと契約してしまうと、中々帰国でき鳴ったようで、政太郎さんが亡くなった時に、その死をハワイで知ったという事です。  ヨーロッパ、アメリカ、アジアのいろいろな国に行っていました。  

昭和10年に日本に戻って来て、日本での演奏活動を始めます。  海外の歌曲を日本語に訳して歌う事も多かったようです。   「冬の旅」を1946年にNHKで録音したものがあり、亡くなる直前だったので本人が納得できないという事で放送はされませんでした。   

「冬の旅」 一部放送 歌:三浦環

母親の影響で義太夫、歌舞伎が好きでした。  三浦環は東京女学館を卒業後、帝国劇場で1年ほど歌っていますが、西洋の発生方法で歌うということが、ななかなか受け入れられなかったようです。  

私は子供のころピアノを習っていましたが、挫折しました。  絵を描くのが好きだったので、東京芸術大学美術学部に入りました。   のびのびした学校でした。  芸祭では演劇をしました。  卒業後広告の会社に入って、広報などやっていました。   父親の病気をきっかけに退職しましたが、なんかものを書きたいという思いがありました。   父が亡くなり、大学に新しい映像研究科が設立されるという事を知って、入ることを決意しました。  監督コース、脚本コース、プロデュースコース、技術パートがあり、撮影、照明、サウンドデザイン、美術、編集など7つのコース、7つの領域があって、監督コースは北野武監督、黒沢清監督が教授を務めていました。  脚本コースは田中陽造先生でした。  

私の脚本コースの人は6名でした。  映画は最初にどんなワンシーンを描きたいかという事を監督、脚本などがイメージすることが重要なのではないかと思います。  ワンシーンを作る為に話を編んでゆく。  2010年に公開された「ゲゲゲの女房」。  水木しげるさんという漫画家の奥さんの人生を描いた映画でした。  水木しげるさんは不思議な幻想的な世界を描く漫画家です。  戦争で片腕を無くしてしまい、残された手で漫画を描き続けた漫画家です。   昭和の暮らしを調べて見るととても興味深くて、いろいろシーンを付け加えました。   人の気持ちを映像でどういう風に表現するかという事は本当に難しいです。   

若い世代に対しては、映画は最初にどんなワンシーンを描きたいかという事が大事だと思うので、まずは大切にしてほしいと思います。  幕末から明治にかけて、人間はどう追う風に生きてきたのか、興味を持っていて、特に女性の生き方を小説として書いてみたいと思います。