山本學(俳優) ・〔出会いの宝箱〕
大河ドラマに8本出演しています。 最初が1967年「三姉妹」(56年前 30歳の時))最近では「おんな城主 直虎」2017年(6年前)。 1年間を通しての出演はなかった。 生テレビの時代に単発で1年間に20~30本ぐらいやっていました。 その後劇団にいたので芝居が入って来て、1~2か月拘束があり、大河をやっていると2か月は休めない。そんな関係でちょこっと出してもらっています。 「おんな城主 直虎」では一緒に歩んでゆく村の長老の役「甚兵衛」さんというお百姓さんを担当。 僕はあんまり役者精神がないんですね。 できれば影でいいですから、全体がよくなればいいですから、というような消極的な人間なんだと思います。 出番がない時でも全体は見ています。 若い人はそうではなく、自分の出番が終わると、さよぅならといった感じです。
1967年「三姉妹」 演じたのは高杉晋作。 小唄のシーンがあったが、当時は世界が違っていて小唄など歌ったこともなく、苦労したことを覚えています。 中村半次郎の役で米倉斉加年さんが出演している。 森光子さんの「放浪記」には何十年かご一緒しました。 九州福岡の出身で、きっちりどこかで自分をもっていて、なかなかそれを見せない。 九州の男の人だったなあという印象があります。 絵が上手かったです。(西洋風な絵) 台詞は台本が頭の中に入っていて、ページをめくるように覚える、といった感じでした。 でも黒柳徹子さんがアドリブ的な演技をしても、それにちゃんと受け答えしていました。 感心しました。
1972年「新・平家物語」では清盛の弟にあたる平頼盛を演じる。(35歳) 戦争に行かなくて生き残って頼朝と仲が良くて、助けられる役です。 滝沢修さんが後白河法皇役で、滝沢さんと一対一で芝居が出来るのかなあと緊張したことを覚えています。 芝居の神髄をどういう形にするかという事、方法論を持っていた方でした。 私は声が小さかったので、大きな劇場でしたが、早く開けてもらって声出しの練習をしました。 怒鳴れば聞こえるが、怒鳴った声は細かいところまで聞こえない。 通る声を出さないといけない。 今の若い人は通る声ではない。 きちっとしゃべる人が役者として残って行くと思います。
1999年「元禄繚乱」では四十七士を纏める吉田忠左衛門役。(年寄りの役) その前に「四十七人の刺客」という映画で監督が市川崑さんでした。 僕はこんな年寄りは出来ませんよと言ったんですが、もうそういう年なんだよ、と言われて吉田忠左衛門役をやることになりました。 「元禄繚乱」でも吉田忠左衛門役をやることになりました。 俳優座同期の井川比佐志さんも四十七士の原惣右衛門役をやる。 中井貴一君が若い色部又四郎役をやっていましたが、彼は時代劇を残さなければいけませんと、武士の精神、形式とか大事に日本の遺産として残していきたいと言っていました。 「どうする 家康」では時代劇と現代劇と合わさったような新しい形で、こういう風に時代が変わたんだなあと、我々が持っている階級制を意識して、忠義、真心とか関係ない演技方式という気がします。 大石内蔵助を演じたのは当時の中村勘九郎さんで、早く亡くなってしまって残念です。 映画「四十七人の刺客」では大石内蔵助を演じたのは高倉健さんでした。 兎に角ぶつぶつ言わないで、リハーサルの時でも椅子に絶対座らないで、皆の人を見ていました。 作品はこうして作るものだと身体で示していました。 驚きました。 豪放なところと細やかななところを持っていました。(高倉健さんも中村勘九郎さんも)
2014年「軍師官兵衛」(9年前)では武田信玄のゆかりの寺、恵林寺の住職快川紹喜というお坊さんの役、織田信長が恵林寺を焼き払ってしまう。 その時に快川和尚が「安禅必ずしも山水を須〈もち〉ひず 心頭滅却せば火も自づから涼し」の辞世を残したといわれている。 こちらが間違ってしゃべたりしたときでも、それをちゃんと受けてくれる俳優さんは心に残っています。 相手役があって、役者というのはそういうものですね。
大河ドラマのセリフ、大河ドラマゆかりの名文章を読んでいただく。
快川和尚の言葉 「心頭を滅却すれば火も亦た涼し」 ドラマではなかった。
吉田忠左衛門の辞世の歌 「君がため思いぞ積もる白雪をちらすは今朝のみねの松風」 「君」は浅野内匠頭
平家物語の冒頭の部分。 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
高杉晋作 小唄 「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」 高杉晋作が唄ったとされる都々逸(どどいつ)の歌詞。