桧山進次郎(元・プロ野球選手 野球解説者)・〔師匠を語る〕 岡田彰布
1991年にプロ入りして2013年に引退するまで阪神ターガースに22年間在籍した桧山さんは2003年、2005年のリーグ優勝に貢献、日本シリーズで優秀選手賞を受賞しました。 その後代打にシフトチェンジしてからも活躍を続け、代打の神様とも言われた桧山進次郎さん、その桧山さんが師と仰ぐのが阪神タイガース監督 岡田彰布さんです。
平安中学、高校を経て東洋大学に進学、ベストナイン3回、阪神タイガースに入団。 中学から様々な監督の下でプレーしてきました。 小さい時からタイガースファンで育ってきました。 岡田監督は代打への道を切り開いてくださった監督です。
岡田彰布さんは、1957年大阪に生まれる。 北陽高校時代には1年生で甲子園に出場、早稲田大学でも1年生からレギュラーとして活躍し、東京6大学の記録を塗り替えてきました。 岡田選手をめぐって6つの球団が競い合う白熱したドラフト会議の結果、1980年阪神タイガースに入団、ルーキーイヤーに新人王を獲得するなど、プロ野球でも活躍を続けます。 阪神で1993年までプレーした後オリックスに移籍、1995年に現役を引退しました。 その後、オリックス、タイガースで2軍監督などを歴任し、2004年阪神タイガースの第30代監督に就任、2005年チームをリーグ優勝に導き、2008年に退任しました。 その後オリックスの監督、野球解説者を経て今シーズン15年振りに阪神タイガースの監督に復帰しました。
1991年岡田選手のいる阪神タイガースに入団しました。 プロ野球になると意識付けが変わりました。 当時低迷期ではありましたが、プロの選手は違うと思いました。 体力面で、足が速い、肩が強い、技術面でもそうだし、パワーもありプロとの差を感じました。 最初にロッカールームで岡田選手らと会った時には直立不動で挨拶しました。 オープン戦が始まる前に福岡遠征があり、その時に久慈選手と一緒に岡田選手に食事に誘われたことがありましたが、緊張して何をしゃべったのか判りませんでした。
岡田さんがオリックスから阪神に戻って来たのが1998年、2軍の監督に就任。 そのころはレギュラーで、怪我をした時に岡田さんと話す機会がありました。 岡田監督の方針としてはその人のいいところを伸ばそうというような形でした。 岡田さんは2004年に1軍の監督に就任。 野村さんはタイガースのOBではなく来られて、基礎の部分を作り上げて、星野監督が背中を叩いて、岡田さんがタイガースの歴史を知っている方が監督になったという事で、良い循環になったのかなあと思います。
岡田監督の2年目になって、代打としての起用が増えてきました。 岡田監督としては次の時代を担う選手を育てなければいけないという事があり、私はライトでしたが、いろいろ葛藤はありました。 練習とか、技術的なことを見ても、どうしてあいつを出すのかとか、という思いはありました。 しかし、どう結果をだすかという事しか考えていませんでした。 代打の道に踏み入れるという事は考えていませんでした。 途中から信頼してもらえるような代打者になって行きました。 代打者にとっては試合の中でのリズムがないので、練習方法、出番の準備も変えていきました。 流れに左右されないというところを持たないといけない。
2010年6月4日には代打通算109安打、球団新記録達成、このシーズンには158安打で球団最多、セリーグ2位、翌年5月14日、代打通算14本塁打、球団新記録達成、2012年8月23日代打通算98打点球団記録タイ、2013年5月8日代打通算99打点球団新記録達成、 このシーズン111打点 球団最多。セリーグ2位。
岡田監督とは代打起用について話をしたことはないです。 阿吽の呼吸みたいなのはあったかもしれません。 岡田監督がタイガースを退いたのが2008年。 電撃的な退任だったのでびっくりしました。
22年間阪神ターガースで活躍して2013年引退。 岡田さんは解説者として活躍。 引退会見する前日に電話で知らせました。 岡田さんは15年振りに阪神ターガースの監督に就任。 代打のポジションをすることによって、いろんな野球の仕方があるんだよという事を学ばせてもらったという部分ではすごく感謝しています。 熱い想いがあると思うので、健康に気を付けて優勝を目指して頑張っていただきたい。