泉谷しげる(シンガー・ソングライター 俳優) ・オレが語る泉谷しげる
昭和23年生まれ、1972年『春夏秋冬』が大ヒットします。 一躍フォークシンガーとして注目されました。 5月に75歳を迎えます。 俳優としてもテレビ、ドラマで活躍しています。
*『春夏秋冬』 作詞、作曲、歌:泉谷しげる
それまで激しい演奏をやっていたので、シングルで出した時に兎に角、パンチがないという事を言われました。 最初シングルの話もなかったが、そのうちラジオで出して、皆さんがいい歌だと認めてくれました。 山本周五郎さんに「季節のない街」という小説あり、慌てて『春夏秋冬』に変えました。 季節感がなくなってしまったことを歌ったので、自然風景のことではないんです。 田舎で育って東京に来た皆さん喜び感じてくれました。 団塊の世代で大半が敗者というような時代でした。
青森県で生まれて3歳から東京で育ちました。 暴れる時は暴れて、家にいる時にはこもってしまうような極端な性格の子でした。 乗り物には酔ってしまって駄目でした。 バス旅行が厭になって絵を描くようになって漫画を描いて、漫画家を目指そうといしましたが、家の中でもじっとしていられなかった。 乗り物にも大変な思いで挑戦しました。 今は大丈夫です。 外へ出たいという思いは強かったです。 中学校ぐらいからエレキが流行り始めました。 寺山さんが「書を捨てよ町に出よう。」というフレーズを出して、自分もやってみようと思いました。 エレキバンドをアマチュアでやっていて、預かっていた楽器を火事で燃やしてしまいました。 弁償しなければいけないと思っていました。 フォークブームになっていて、どこでも歌えたので、凄く頑張って返却できました。 フォークをやっているうちに周りには吉田拓郎とかいろいろな人が居て、忌野 清志郎(18,9歳)にはレベルが高くてびっくりしました。
「キャラは自分で作る」という本を出版。 外見と違って意外とまじめで、キャラを自分で作って来ましたが、やはりしんどくなってきました。 それを本には書いていますが、無理しているとことがあったので。 人間は基本的には何にもないところから始まって、どんな人間になるかですね。 慌てて自分を形成する必要もないです。 若いうちは「無理」をトライする。 しかし途中で嫌になってしまうが、一回休むなり、一回辞めるなりする。 自分の才能だけをひけらかそうとしている人は大体ろくなものは作れない。自慢だからつまらない。 レコードは一人で聞くし、1対1になった時にどうするか、考えないといけない。
1977年ごろにフォーライフレコードを辞めて、音楽界から干されるんです。 音楽界は意外と保守的なんです。 「フォークの裏切り者」のレッテルを貼られる。 休もうと思っていた時に、向田邦子さんから、吉展ちゃん事件を題材にしたテレビドラマの犯人役を「お前やれ」と言われ、啖呵のかっこよさ、に感じてやる気はなかったが、引く受けました。 それ以後俳優の仕事がいろいろ舞い込みました。
不得意のことをやってみせるのも、元気だという事になるので、俳句と、お花と料理を作るという番組からオファーが来てしまって、料理もいろいろトライしました。 女性はこんなに大変なことをやっていたのかと思って、申し訳ないし、いい運動にもなって、料理を始めました。
本の最後の方に「性格はこれからもどんどん増やしていけ」と書いてあります。 性格を決めたところで性格を維持できるわけがないし、意識もしていない。 他人が言っているだけであって、自分はどういう性格かわからない。 受け入れることはできる。 いろんなものをやりたいという欲望があるうち、いろんなことをやらざるを得ない時、厭なものを克服した時の達成感は嬉しいものです。 自分の元気を見せるのが大事だと思っています。 酒もたばこも辞めて、これもお客さんの為です。
*「長い友との始まりに」 作詞、作曲、歌:泉谷しげる