久山敦(咲くやこの花館名誉館長) ・〔心に花を咲かせて〕 牧野富太郎ゆかりのロックガーデンを再建
最近は牧野富太郎さんの話をあちこちで聞くようになりました。 牧野富太郎ゆかりのロックガーデン(石を組み立ててその隙間に植物を植えたもの)が神戸市にある当時の灘中学校に有ったということが判って、そのロックガーデンの再現が行われているという事です。 牧野博士の関西での活動は東京や高知と違ってあまり知られていませんが、どうも牧野富太郎博士の人生に大きな力をくれた地域の様です。 又再建に至るには偶然の出会いがあったようです。 再建を主導したロックガーデンの権威、久山敦さんに伺いました。
連続テレビ小説の「らんまん」のモデルが日本の植物学の父と言われている牧野富太郎という事で、牧野富太郎さんのことがいろんなところでクローズアップされています。 94年間の中であれだけの偉大な仕事をしたという事は信じがたく尊敬しています。 関西は牧野富太郎さんの人生を大きく変えるような場所でもあったんです。 裕福な家庭に生まれたが植物のことにお金をつぎ込み、借金をして大変な窮状の中でそれを救ったのが関西の方だと言われています。 神戸に池長孟(はじめ)さんという方がいて、当時は京都大学の学生でした。 牧野博士が生活に困っていて標本を売らざる得追えないと、朝日新聞に窮状を訴えていました。 池長孟さんは海外に流出したら困ると思って、買い取るという事を考えました。 養子先が豊かな家で当時の値段で3万円(現在の1億円に近い額)を差し出したんです。 生活の面倒も見て、神戸市内に研究所も作って標本を仕舞っておきました。 牧野博士は六甲山などに来て植物採取には来たが、標本の整理には手が回らなかったようです。 講演をしたりして、弟子に相当する人たちが関西には結構いたようです。 肉が好きだったようでもてなしもされ、借金もゼロになり、東京の家も援助した様です。
愛弟子の川崎教諭という人が灘中学にいて、牧野博士と一緒にあちこちに植物採取、研究に出かけました。 1937年当時は阪神でロックガーデンが盛んな時期で、川崎先生はいち早く1934年には彼が灘中学にロックガーデンを完成させました。 生徒の情操教育の為でした。 海外のものとか、高山植物など珍しい植物を身近で観られるようにしたようです。
私がシニアカレッジで植物に関する講習をしていた時に、灘高の校長先生の奥さんが参加していました。 そこで灘高にもロックガーデンがあったという話をしました。 石だけは校庭に残っていました。 或る先生が調べたらロックガーデンの写真、127種類の植物のリストといったものまでが出てきました。 牧野博士は灘校でも講義をしています。 牧野博士は日記をつけていたので、関西、阪神における行動がいろいろ判りました。 初めてロックガーデンを観た時には植えるところが少ない様でした。 1934年当時の学校の配置図が出てきて、道路を作ったりするには邪魔なので別のところに移したようです。 150平米あったようで小豆島から石を持ってきたようです。 エーデルワイズ、チングルマ(高山植物)などが植えられていました。 横には鳥の小屋があり30種類を飼っていたいたようです。 灘高の校長先生も植物が好きで、水やりなどフォローするという事で再建の話が進んでいきました。
70種類ほどの山野草を植えてゆきました。 野生のチューリップ、野生のシクラメン、タツタソウなど丈夫で楽しめるものを植えてゆきました。 まずはよく観察してもらって興味を持ってもらう。
私は山野草に最初興味を持ちました。 1980年代に第二のロックガーデンのブームが来ました。 1972年から1年間、英国王立キュー・ガーデンズに学びました。 那須高原に日本で一番大きなロックガーデンを作るのに手伝わせてもらったり、淡路島に5000平米のロックガーデンを作ったりしました。 花博が1990年にありましたが、温室の中に冷房の部屋を作って、高山植物のロックガーデンも作りました。 出来るだけ自然の植物を自然のように見てもらうというよなものがロックガーデンです。
ロックガーデンはイギリスではじまりました。 ロックガーデンの父と言われたレジナルド・ファラー(1883年にイギリスのソールズベリーに生まれ、1960年に亡くなりました。ファラーは庭園デザインの分野で活躍し、特にロックガーデンの設計や植栽に関する専門知識を持っていました。)が日本の石に対する精神、石庭を見て涙を出して喜んで、そこからイギリスのロックガーデンも変わっていきました。 イギリスも日本も園芸が盛んですが、日本には植物が7000種類ぐらいあり、イギリスでは1600種類ぐらいで少ないんです。 世界で一番大きなガーデンセンター出来たのは東京の染井なんです。 日本とイギリスは昔から植物交流がありました。
牧野富太 郎の足跡をたどって行っても残っているものが少ないですが、灘高に石が残っていたことは有難い事です。 植物だけではなく、他の生き物を含めて、一緒に生きているんだという事を大事にしていかなかったら、住みずらいですね。 ロックガーデンの様に根の張る場所がある生き方は放っておいても育つし、見事に出来てゆく可能性は高いです。
灘高のロックガーデンは一次系としては70種類ぐらい植えて完成はしています。 将来的には横の場所に石を動かしてゆとりをもって広めに作りたいと思っています。 咲くやこの花館も当時植えられていたなかの60種類ぐらいを植えて、観られるように展示しています。 牧野博士に関する展示もやっています。 自然界は植物も動物も繋がっているのでそういったことも知ってもらいたいです。