渡辺菜生子(声優) ・〔時代を創った声〕
「ちびまる子ちゃん」のたまちゃん役、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)のキャラクターの一つ、キッコロの声を担当。 1990年から始まった「ちびまる子ちゃん」は30年以上になります。 まる子ちゃん役をやっているTARAKOちゃんとも相方と呼んで仲良くしています。 藤木君役の中友子さん、おばあちゃん役の佐々木優子さんとかまる子のメンバーのなかで、演劇ユニットを立ち上げて5人でプロデュースしてやったんですが、その後TARAKOちゃんと二人で演劇ユニットを立ち上げて今に至っています。 性格が全く違います。
小さいころから跳び箱が飛べない子でした。 運動が苦手です。 本は大好きで、テレビドラマも大好きでした。 中学、高校は私立で続いていて女子校でした。 学年で300人居ました。 演劇クラブで中学、高校6年間やりました。 日本大学芸術学部演劇科に入学しました。 緊張感を取っ払うためのいろいろなやり方は最初ショックでしたが、1年間やっていたら馴れてきました。 感情の開放がうまくできるようになりました。 そこが私の原点になりました。 役の心理状態に私が近づけてゆく、反映させてゆくというやり方が私には合っていました。
148cmなので舞台向きではないし、声も高いので新劇には合わないと思って、大学時代の恩師と現在所属の青二プロの当時の社長が知り合いだったという関係から、声優界入りのきっかけとなりました。 何の試験の準備をせずいったら、緊張して一次募集では落ちてしまいましたが、二次募集では試験を受けるための準備をしっかりして受けたら、合格しました。
声優も昔は役者さんたちが集まっているような現場だったので、お芝居と全然変わらないので違和感はなかったです。 俳優になりたいという思いがあったので、舞台に立つチャンスがあれば出ていました。 私を知ってもらうために1年間は費やされました。 その後オーディションがあり、50近く受けましたが全部落ちました。 1984年『リトル・エル・シドの冒険』(ルイ役)で初主演でレギュラーデビューしました。 電話で連絡があり、受かったという事で号泣しました。 毎日5分もので、ディレクターさんがマンツーマンでリハーサルをその期間中ずーっとしてくれて、アニメーションのアテレコが怖くなくなりました。 同年「夢戦士ウイングマン」で小川美紅役を演じました。 内気な少女役でした。 「とんがり帽子のメモル」のメモル役にも出演。
1990年から始まった「ちびまる子ちゃん」のたまちゃん役は30年以上になります。 これがなかったら今の私はいません。 声優渡辺菜生子を作ってくれたのは「ちびまる子ちゃん」なので、感謝しきれないものが沢山あります。 声が高めなので、声に対する劣等感がずーっとあって、大人の声がリアリティーに欠けるところがあり、音域を広げることが課題で、私の御芝居の仕方とこの声の音域で生かせられるキャラクターに出会えたら、それに賭けようと思い出しました。
毎年3万人の希望者がいるそうですが、実際に仕事として成り立っているのが300人ぐらいで、自分が何をやりたいのか、はっきりした対象を考えた方がいいかなと思います。 昔の声優さんたちは劇団からの、役者さんからの出発で、御芝居が出来る上での声なのでそういうところは見習うべきかなと思います。 やりたいと思っていたおばあちゃん役を頂き2回目の号泣をした。 これからもがんばれるかもしれないと元気をいただいました。 いろんなおばあちゃん役を研究していろんなおばあちゃん役を演じていきたいと思います。