近藤欽司(元・卓球女子日本代表チーム監督)・〔スポーツ明日への伝言〕 初心忘るべからず ~卓球一筋70年~
80歳の今もなお、実業団サンリツ卓球部の監督を務めながら大学生や地域の卓球教室の指導も行っています。 卓球のとりこになって70年以上卓球日本を支え続けてきた名伯楽近藤さんに伺います。
運が良かったこと、選手に恵まれたこと、周りにかたがたの精鋭、理解、如何に選手にやる気を起こさせるか、そして楽しくやる、そう言った雰囲気つくりをしてきました。
1942年愛知県生まれ。 小学校4年生で卓球を始める。 名古屋電気工業高校(現・愛工大名電高)に進学、卓球部で全国高校総体・国民体育大会で団体優勝、卒業後日産自動車に進むが、指導者を志して退職、1965年から白鵬女子高校(旧京浜女子商業高校)卓球部を41年間指指導し、全国的な大会で個人・団体含めて37個の金メダルを獲得。 世界選手権全日本女子チーム監督、北京五輪女子代表監督などを務めて、。現在は実業団チームのサンリツ監督を務める。
兄が卓球をやっていて、自分も始めて中学時代はさしたる成績はなかったが、面白くてどうせやるなら日本一の学校でやろと名古屋電気工業高校に進学しました。 後藤 鉀二学長は素晴らしい考え方の人で後藤学長と出会えたことが今の人生に繋がったかなあと感謝しています。 後藤学長は日本卓球連盟の会長も務めました。 1971年愛知県体育館で行われた第31回世界卓球選手権大会へ中華人民共和国の参加を実現させたときの中心的な役割を果たした方として有名です。 国交のない国の選手をまねくということは大変な勇気と決断があったと思います。 その時の言葉が「小さなピンポン玉が大きな地球を動かした。」という感動的な出来事でした。
生徒の指導に対しては厳しいですが、その中に愛情がありました。 高校2年の時に名古屋でインターハイがあり、出場しましたが、決勝戦で東山高校に負けました。 学長のところに行ったら「どしかられた。」(名古屋部弁 叱られたにどが付く。) 夜中の2時まで練習しました。 その悔しさから来年こそ絶対優勝するという事で、全国高校総体・国民体育大会で二つ団体優勝しました。 卒業の時に「初心忘するるべからず」と卒業アルバムに毛筆で書いていただきました。 私の中の座右の銘というか、我慢強く乗り越えてきました。
自分で得た達成感を高校生にも体験させてやりたいと思って、京浜女子商業高校に就職して、先生の道を選びました。 当時23歳で、自分で体験したこと、がむしゃらに練習する、をそのまま指導しました。 1年目は全国大会に行きましたが一回戦で負けました。 2年目はベスト8,3年目は決勝で負ける、4年目は念願の初優勝しました。 その後勝てなくて、自分を責め、選手も責めました。 反省することもなくなってしまってしまって36歳の時に神様が復帰のきっかけを作ってくれました。 それは私の病気(急性肝炎)で2か月間入院しました。 そこで3つの項目を考えました。 ①「言葉の力」、平行目線で話す、生徒に尋ねてゆく。(上から目線で怒鳴ったりしないで) ユーモアを入れて生徒と近づく、繋がる。 心を開いてくれる。 ②「練習に選手の意向を取り入れる。」 選手の長所、やりたい卓球などを選手とコミュニケーションを取りながら練習に取り入れる。 ③「練習計画」 飽きさせない、マンネリ化させない練習計画。
その結果が出たのが40歳の時でした。 4年ぶりに決勝まで行きました。 それまでの14年間はベスト8が一番で一回も表彰台に乗れなかった。 その後12年間インターハイの決勝に行け7回優勝しました。 雰囲気が明るくなりました。 上級生が近藤マジックの根底を作るという事です。 やるだけやったので後は自信をもってやるだけだと、心境にさせる日々の努力の積み重ねが必要だと思います。 1年生の時には体力、基礎と言った土台を作り、2年生では戦術的な事、試合運び、相手への観察などのテクニック。 プレーの間の10秒間で次どうするのか、を決断する、それが重要です。 卓球は階段状に強くなってゆく。 強くなってゆくきっかけを作るのは言葉の力です。 そして暗示をかける。
僕が赴任した1993年のころは2年に一回の世界選手権でした。 8年間で4回ともベスト8でした。 5回目が2001年の大阪の選手権では、団体でメダルを取る事、ダブルスでメダルを取ることを目標に掲げました。 団体が18年振りの胴メダル、ダブルスが26年振りのメダルとなりました。 2008年の北京オリンピックには何としてもメダルを取ろうとしましたが、団体の3位決定戦で韓国に負けました。 その後退任しました。
卓球は予測のスポーツなので、予測をさせない。 バックスイングが小さいと予測しにくい。 フェイント攻撃、強く打つと見せかけてふわっとやる、フォワーと見せかけてバックへ打つ、など相手の予測を外すプレーをしてゆくと相手は精神的に崩れる。 これは難しいが、中国選手の得意な技をやらせて、日本が点が取れるという、そういう練習。 精神的には一番ショックがある。 それぐらいのことをやらないと中国には勝てない。 カリキュラムを作って計画的に選手を作ってゆくことが大事だと思います。