前田速夫(元・編集者) ・老年に効く読書
19444年福井県生まれ。 東京大学を卒業後1968年に新潮社に入社、初めて担当した作家は両親の媒酌人を務めた武者小路実篤さんでした。 その後文芸誌「新潮」の編集長を務め、まだ学生だった平野啓一郎を見出したことでも知られています。 定年退職後は文壇を離れ白山信仰など民俗学の研究に専念しましたが、2013年にステージ4の癌患者となり手術、退院後書斎や書庫を整理してもう一度しっかり読んでおこうと思った本だけを選り分けたことが、去年出版した「老年の読書」という著書に繋がりました。
手術をして約10年で、気力だけで頑張っているような毎日ですが、3か月に一度検査を受けながらですが、もう問題ないと言われています。 退院後、気分一新するために書庫の整理を考えました。 約1万冊は有ったと思います。 愛着のある本、思い出の本があるので思ったほどは進んでいませんでした。 もう一回読み直そうと思った本を書斎の手の届くところに置いて読み始めました。 老年期をどう過ごすのか、死と対面してみると、正面から向き合ってみようという本がありませんでした。 定年後にゆっくり本を読んでみたいという人は大勢いるのではないかと思いました。 そこで今回「老年の読書」を出版する事になりました。
ハイデッガーは難解な本でしたが、入院中に読んで、死をどういう風に考えればいいのか、とか熟読しました。 それを読者の皆さんにお伝えしようと書きました。 本を読むことが暮らしのような生活をして来ました。 父親が文芸春秋とか新潮とかを定期購読していて、母が倹約家でそれを切り裂いて、トイレットペーパー代わりに隅に積んでおくんです。 それを手に取って読むことになりました。 それがきっかけで小説も読むようになりました。 高校時代はロシアの作家を多く読み、アメリカの文学にも興味があったため東京大学文学部の英文科に進みました。(ロシア文学科は当時なかったので) 大学紛争が激しい時でしたが、いわゆるノンポリでした。 実際の行動にはできなかったが、精神的には規制の体制に対しては歯向かうような気持はありました。 日本文学、世界文学など乱読していました。
文学部だと、新聞社、出版社などへの就職となるので、作家への興味もあり新潮社に入りました。 文芸誌の新潮に回されたのがラッキーでした。 原稿の依頼から始まって完成まで待ちながら出来上がるとまっさきに読んで、いろいろチェックをしてこまごまとしたことがいろいろあります。 担当の作家だけではなく、締め切りがぎりぎりで先輩の替わりに遠いいところまで取りにいかされたりもします。 でも川端さん、小林さんだとかに直に会えて楽しかったです。 正月明けに、特別分厚い書面が来て、自分は京都大学の4年の学生ですがという事で、文学に対することを延々と書いてあり、今の文学はおかしいと、本来文学はこういうものでなくてはいけないとか、文学論が延々と書いてありました。 書き上げた小説があるから読んで欲しいという事でした。 送ってもらって読んだら吃驚仰天しました。 これは一挙掲載だと自分で決めて、掲載しました。 芥川賞を受賞することになりました。 平野啓一郎さんでした。
退職後は民俗学の方に進みました。 中学生の時に平凡社「風土記日本」という7冊のシリーズが出ていて、読んだ時に全国各地にいろんな歴史、風土があり人間がいて、夢中になって目が開きました。 谷川健一さんが編集者時代に編集した本でした。 そこには宮本常一さんとか起用して書いてもらった本でした。 谷川さんにはあこがれていて、仕事でお付き合いするなかで、自分も定年後はそういったことをやろうと決めてぼつぼつ書き始めました。 2005年『余多歩き菊池山哉の人と学問』で読売文学賞受賞。 現場に足を運ぶことが一番大事な学問ですが、病気をしてそれが出来なくなり、今まで残してくれた記録、文献を読んで、今まで行き届かなかったものなどを学んでいこうと思いました。
『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』 谷川健一さんと弟の谷川雁さんを相対的に比較しながら考えてゆくと何か見えてくるのではないかと思って、雁さんの本も読み直して、共通部分、正反対な部分もあり、ドラマみたいにして見えてきたので書こうと決めました。
『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』 「新しき村」は全国から集まってきた若者20人ぐらいからスタートして、どんどん大きくなってきた時に、当時の国策としてダムの底に沈められてしまう。 本体は埼玉県の毛呂山に引っ越すことになる。 高齢化が進み、今は3人になってしまった。 私は村外会員として何とかしなければいけないと思って、共同体、共同性という事がどんどん失われている中で、大切にしなければいけない、みんなにも勇気を与える事になるのではないかと思って、『老年の読書』の後ですが、『未完のユートピア 新生・新しき村』を書き上げました。 両親、武者小路通さんへの思いがあります。
目の前のことも大事ですが、何のために我々だ生き生かされて死んでゆくのかという事はいつも頭から離れないんですが、死んでからは宗教などではそこに救済があるとかあるし、神様はいるのかいないにかという事も大問題ですし、生きているという事はただ生きているというのではなく、生かされていることでもあるし、自分、個を大切にすることは大事ですが、共同性というか他者と共に生きてゆくことの中に、生きることの本質があるのではないかと思います。 書店が衰退してきて、怒りがわいてくる中、どうしてこうなってしまったのか、どうすればいいのかそこも考えていきたいと思います。