大屋あゆみ(お笑い芸人) ・コーダの私が手話の可能性をひらく
コーダというのは耳の聞こえない、聞こえにくい親の元で育った耳が聞こえる子供たちのことです。 Children of Deaf Adult/sの頭文字 CODAです。 2022年にはコーダの家族を描いた映画がアカデミー賞3部門を受賞するなど注目されました。 コーダは親のコミュニケーションのフォローを務めることもあり、大屋さんも幼いころから親のサポートを続けてきたと聞きます。 大屋さんは手話通訳の仕事を経験した後 、お笑いを通したコミュニケーションに興味を持ち、2018年には耳が聞こえない人にもお笑いを楽しんでもらいたいと、手話を交えたコメディー劇団を立ち上げました。 手話の可能性を広げようと奮闘する大屋さんのこれまでの体験と思いを伺います。
私は物心ついた時には手話で話をするようになったらしいんです。 初めて使った手話が「パパ ママ」みたいな感じらしくて、ちゃんと手話をやるようになったのは3歳ぐらいと話を聞きました。 兄とも一緒に自然と家庭内では手話をするようになりました。 幼稚園の時には手話ソングをやった記憶があって、先生が大屋さんは手話ができるんだといって、大屋さんから手話を習おうといった記憶はあります。 歯医者に行った時に親のサポートして、受付、痛いところ、手話でやっていたので、病院、市役所、電話など親のサポートをしていました。 小学校2,3年生の時に電話が来て、電話のサポートが一番多いです。 買い物なども一緒に行きました。 親はいつも感謝していて、最後にはいつも「ごめんね。」と言っていました。
小学校高学年になると、手話を真似されたり、親との会話を見られたくない、という思いが出て来て、親としゃべるのがめんどくさい、という気にもなりました。 親子ダンスがありましたが、音が聞こえないと踊るタイミングが難しいので、親にはそれを言わず、先生と踊っていて、親としては寂しかったんだろうなあと思いました。 うらやましいのはいっぱいありますが、特に親と電話で会話ができるというのは今でもうらやましいです。 ある時期から人前で手話をするのが厭になって行きました。
中学2年生の時に、家族で旅行で東京に行きました。 手話喫茶の喫茶店に入りました。 店のルールとして声を出してはいけませんという看板がありました。 入ると音としてはメチャクチャ静かなんですが、騒がしい、メチャクチャみんな手話をやっているんです。 笑ったりしていて凄く気持ちが温かくなりました。 手話は言語なんだと感じました。 手話が出来ることに対して親に感謝しています。
何時かはお笑いと手話を融合させたものをやりたいんですと、言っていました。 2018年に手話コメディー集団「劇団アラマンダ」を立ち上げて座長になりました。 2022年11月には沖縄で開かれた、国民文化祭「全国障害者芸術文化祭」のステージにも参加しました。 「劇団アラマンダ」は聞こえる人と聞こえない人が一緒に楽しめるような舞台になっています。 映画とか見るものがどうしても限られてくるので、お笑いとはこういうものなんだという事、お笑いを届けたいという強い気持ちで立ち上げました。 きっかけは漫才を通訳して伝わったんだという思いがありました。 手話の新喜劇は面白そうだとひらめきました。 「劇団アラマンダ」は私を含めて9名です。 セリフを言いながら手話をやるという事で、それを続けていきます。 45~50分ぐらいの劇です。 今どういう場面なのか状況をモニターで簡潔に出したりもしています。 手話通訳士のサポートもあります。
私以外は手話は何にもできない状態で入って来ました。 まだ言語としてペラペラしゃべる芸人はいないです。 立ち上げる時にはどこまでできるのか不安でした。 照明で客席が見えないような状態の時に母親の笑い声が聞こえてきて、凄く感動しました。 みんなも表現力が上達してきて、手話通訳士なしで出来るようにしていきたいと思っています。 より気持ちが伝わるのではないかと思っています。 知名度を上げたいし、沖縄を拠点に活動していますが、全国に手話のコメディーを見せたいという思いがあり、全国に公演できるような日がくればいいなあと感じています。