柴田元幸(東京大学名誉教授・翻訳家) ・今『ガリバー旅行記』から学ぶ
アメリカ文学翻訳第一人者柴田元幸さんは2020年6月から2022年2月まで新聞にスウィフトの「ガリバー旅行記」の翻訳を連載し、その完訳が書籍化されました。 子供のころ絵本で読んだ方も多いと思いますが、原作は4部作からなりスウィフト特有の風刺が随所に散りばめられています。 『ガリバー旅行記』は300年近く前に書かれたものにもかかわらず、内容も原文も古びていず、今の世に通じる示唆に富む作品だと柴田さんは言います。 『ガリバー旅行記』の魅力について伺いました。
2020年6月から2022年2月まで毎週金曜日の夕刊に連載しました。 毎週1ページいただきました。 平松麻さんが挿絵を担当しました。 スウィフトはユーモアが大事なので挿絵に関しては気になるところで、 平松麻さんの魅力がスウィフトの上を行っているような素晴らしいものです。 楽しいガリバーにしようという方向性が編集者たちと一緒だったので凄くやり易かったです。 原稿用紙8~10枚程度になり、一か所は兎に角これは面白いと言えるところがあるという小説を訳したいと思いました。 それに合格する小説は2,3冊しか思い浮かばないんです。 訳していないのは『ガリバー旅行記』だけでした。 連載中に高山宏さんが『ガリバー旅行記』の新訳がでて、対談がありましたが、文学に素養のある読者に向けて訳された面白い高等的な訳で、私はお茶の間に届くガリバーですと答えました。
4部構成なっていて小人国と巨人国は第1、2部で、第3部は人間は普通の大きさで空飛ぶ島があったり、発明に人々が現を抜かす、当時の科学者を皮肉っている。 第4部は馬の国で人間は動物扱いされる。 どう同じかというところでは、人間は余り賢くないという事を提示している。 ちっぽけな人間が偉そうにふるまっている。 巨人国では人間をちっぽけと観る存在が出てくる。 でもそっちも阿呆なことをやっている。 ガリバーは一貫性のなさが楽しい。
スウィフトはアイルランドの英雄であると夏目漱石などは言っています。 親はイングランド人でアイルランド人を抑圧した側の人で、生まれた場所はアイルランドで、又複雑な育ち方をした人で、自分はアイルランド人なのか、イングランド人なのか定まらなかった人です。 政治と宗教で社会的な地位を得ようとしたが、最終的にはダブリンでそこそこの地位に着くが成功したという程の人生ではなかった。 18世紀ではまだ作者と登場人物との距離はまだ一貫していない。 逆に楽しさに繋がってゆく。 1726年の作ですから300年近く前のものです。 ガリバーの英語は現代の方に遥かに近い。 難しさのない英語で書かれている。 漱石の「吾輩は猫である」の最大のインスピレーション元はローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』と言う事はよく言われている。 筋書きが脱線に次ぐ脱線になっている。
『ガリバー旅行記』では人間のやっていることはあまり賢くないかも知れない、という事をいろんな角度から書き、何故か活力を感じさせる、そこが漱石とスウィフトの共通点というか、漱石がスウィフトにインスパイア(感銘を受ける、感化される)されたと思います。
オーウエルと原民喜の文章を並べてみるとガリバーの奥深さを感じる。 オーウエルはホロコーストを通してガリバーを観ている、原民喜は原爆を通してガリバーを観ている。 オーウエルは馬の国で馬と獣扱いする人間との関係をナチスドイツとユダヤ人の関係を見た。 原民喜は原爆が投下された翌日に馬が悄然とたたずんでいるのを見て、人間の愚かさを感じ取った。 どっちも誤読だと思いますが、ガリバーが言っていることとスウィフトが言っていることと混同しがちですが、原民喜が観ている馬の姿はスウィフトが書いた『ガリバー旅行記』のなかの馬の姿とはそんなに似ていないと思う。 幅広さを許すのが名作だと思います。
『ガリバー旅行記』ではたまに列挙する部分が出てくるが、子供向けにするときに、まっさきに省略されるのがこういった部分です。 筋を進める上では余計ですが、過剰なものが出てくるのか書き手なり、作品なりの肝だったりもする。 小人国では1/12で巨人国では12倍となっているが、その前の世紀ぐらいから、顕微鏡、望遠鏡が出てきて、何分の一、何倍といった科学的な発想が出てきた。 それをスウィフトは最もらしく使っている。 私は注釈は盛り込みみたい方です。 編集者とも一致しました。 日本は注釈には寛容なところがあります。 原文と改行の数が違うというのは僕にとっては革命的です。(通常、他の翻訳は守っている。)
第3部では少し日本が出てきます。 当時、日本はかなりおとぎ話的な場所だった。 『ガリバー旅行記』は江戸時代に日本に入ってきたと言われていて、平賀源内も読んでいたと言われ、十返舎一九も作品の中に小人の国に行ってという発想がそっくりで、挿絵もそっくりで、「新製/小人島廻合戰」が1830年に出ています。 翻訳は1880年まで出ない。
不死に関する事が書かれた箇所があり、孤独や苦しみがあり、現代社会にも通じるものがある。 医療の進歩で死ぬことが長引くという事態にもなってしまいかねない、そういう部分が膨らまさせて語られている。 戦争は第4部の馬の国で語られている。 理性の国なので戦争はありません。 ガリバーが戦争について語ると主人が戦争について質問する、それに答えるというようになっている。 沢山の原因を長々と話す。 これらからウクライナのことを考えなければいけない。
どのように読んでいただいてもいいですが、視点を決めないで読んで欲しいです。 スウィフトはどういう世の中が一番いいかとは、提示しようとはしていない。