江連麻紀(写真家) ・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕 生きづらさを、生きやすさに変えて
当事者研究を始めようとする江連麻紀さんへのインタビュー。 当事者研究とはもともとは精神精神障害などを抱えた当事者の地域活動拠点で生まれた活動です。 およそ10年前、江連さんは初めてその場所を訪れて当事者研究に参加し、関心を持ち始めました。 当事者研究を子供達や子育ての場にも広げようと、2020年専門家や仲間と一緒に子供子育て当事者研究ネットワークを立ち上げました。 子育てに関わる大人や、子供たち自身が対話できればと考えています。
子供当事者研究では子供達には伝わらないので、自分のことを研究してみようという事で、自分に関心を持って、自分のことを助ける仕組みとして何か自分のことを研究してみようという事で伝えています。 苦しい事、悩んでいること、上手くいっていることを話してみようという事です。 自分自身の言葉で子供たちが自分の気持ちを言葉にできるといいなあと思っています。 感情をキャラクター化して伝えたりする子もいます。 構ってほしい時に「かまってちゃん」が来たとか、という風に。 「いかりちゃん」とか。 なんで怒っているのか疑問を持ったり、感心しました。 キャラクター化することで自分を客観的にみられる。
「自分の心の街を作ってみよう」というイベントがありました。 心の街に住んでいるキャラクターをみんなで作ってみようというワークをやってみました。 子供同士が質問をしあうんです。 そこから深まって行ったりします。 子供は自分だけこう思っていたというように、話す場がすくないんだという事を感じました。 子供たちが話す事によって周り(親とか先生)が変わってゆくという現象が良く見られます。 これは大事なことだと思って研究しています。
中学3年生の娘と年長さんの6歳の息子がいますが、うちでも当事者研究をやっています。 なんでもしゃべります。 子育てに行き詰まりを感じて疲弊していた時に、夫が「こんなことで疲れさせてしまってご苦労様でした。」と言ってお菓子を娘にプレゼントしたところから始まりました。 娘が4歳の時でした。 夫が躁うつ病を患ってべてるの家(北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点)へ見学に行き(2012年)、べてるでは怒ったり注意したりではなかったと気が付きました。 そこでは重苦しいような内容をユーモアを交えて面白く語っていたのが衝撃的でした。 自分でもやってみたいと思いました。 「弱さの情報交換」という理念があって、弱さは人のつながりと助け合いを生み、研究する力の源になるという風に言われています。 みんなで弱さを情報交換してゆくんです。 弱さはネガティブに捉えられがちですが、弱さには弱さとしての意味があって、弱さからしか生まれないような出来事がある。
べてるの家で三度の飯よりミーティングというぐらいミーティングがあってそこに参加をしました。 そのなかに「子育てミーティング」というのがあって、遠足でのほかの母親とどんなことを話したらいいかという事が語られていました。 楽しく語り合えました。 夫はなかなか弱さの情報公開が苦手で、私から余計なことは言わないようにしています。 情報公開を気にせず出来る人と一緒に話をしていると抵抗がなくなってくるようです。
2020年専門家や仲間と一緒に子供子育て当事者研究ネットワークを立ち上げました。 当事者研究の発表会をしようという企画が立ちあがって、ネットワークのような形で交流したり、研究内容をシェアし合ったりする場が出来たらいいねという事で、立ち上がりました。 いろいろな方がサポーターに入っていて、べてるの家以外に大学の先生、子供支援の方々が入ってきています。 精神の分野と子育ての分野はまじりあっていて、精神疾患のある親もいますし、うつ病などのお母さん方もいます。
つい子育てをしっかりちゃんとしたくなる。 それが逆に悪くなる。 そのために「ゆるふあ」という名前を付けています。 情けなくて機嫌のいい親を目指しています。(情けない親でも子育てができる。) 完璧を目指すと機嫌が悪くなる。
子育て当事者研究をしていると、苦労の仕分けがとっても大事になって来て、仕分けから、本人の苦労からみんなの苦労になってゆく。 当事者研究は心に溜まった排泄物を出すことが大事だと思います。 娘は低体重、低身長で生まれてきて、小さいころは悩んでいました。 中学1年生になった時に、学校の授業、友達などが楽しくて、楽しいと身長のことが気にならなくなる、と言っていて、コンプレックスが気にならなくなってきた。 娘は自分を助ける工夫をすることで自分を助けるようになって、自分を大切にするようになってきている。
2019年から困った時の写真家さんを始める。 様々な物語がある人たちから依頼の写真屋さん。 笑って生きていきたい。 生きづらさみたいなものを閉じた形ではなく、伝えあったり、分かち合ったりして、それぞれの経験、工夫を持ち寄って対話のなかで、培って日々そのなかで生活してゆく人生でありたいと思います。