帚木蓬生(作家・精神科医) ・〔わたし終いの極意〕 ネガティブ・ケイパビリティ ~じっと耐える力を育む
76歳、精神科医として臨床を続ける一方、作家としては『閉鎖病棟』、『逃亡』など数多く作品を発表しています。 60歳の時に急性骨髄性白血病と診断され、闘病生活も経験しました。 2017年にまとめた本「ネガティブ・ケイパビリティ」(答えの出ない事態に耐える能力)がコロナ禍で改めて注目されています。
2005年の8月に福岡県中間市にクリニックを開業しました。 一日40~50名 多い時は60名ぐらいになります。 コロナ禍でのいろいろな不安と不景気による生活不安などで来院します。 「ネガティブ・ケイパビリティ」(答えの出ない事態に耐える能力) 人間の脳は解決できないものには耐えられないという性質があります。 何とか解決したい、何とか判りたいというポジティブな能力の方がみんな目指しやすい。 ネガティブはその反対なので安直な理解はしない、安直な欲望は持たない。 昔の記憶に従って今の事態を解析しない。 解決できないことが多いから解決しなくていい。 一番反響にあったのは教育界です。 教育界はポジティブ・ケイパビリティばっかりめざしていますから 。 精神科などは直らない病気がずーっと続いてゆく。 躁うつ病などは良くなったり悪くなったりする。 終末期医療も解決はない。 問題解決のために早く、手っ取り早く教えるのが教育で、落ちこぼれが増えてきていると思います。 生徒の能力は千差万別だから直ぐ理解する人もいれば、すぐ理解できない人もいる。 十束一からげに教えるので脱落する人は多いと思います。 未解決に耐える力が養われないままなので、学校という組織自体が未解決に耐え得ないような風になってきているのではないでしょうか。
ネガティブ・ケイパビリティはイギリスの詩人ジョン・キーツが提唱しました。 詩人はネガティブ・ケイパビリティでなくてはいけない、最大の人はシェークスピアと言ったんです。 シェークスピアは戯曲を色々書いていますが、余り解決をしていないんです。 解決は読者なり、観客が始末をつけるか、人生でずーっと考えてゆくか。 その150年後にビオンというイギリスの精神分析医が取り上げて、頭の中の知識で対応する事への弊害に気が付いた。 ありのままの患者さんの心の状態を自分で解決するためには、ネガティブ・ケイパビリティによって、訳の判らないところを突き進んでゆくんだという事を言ったんです。 卓見です。
私は1978年に精神科医になって、4年目にネガティブ・ケイパビリティという概念に会いました。 不思議だなあという気持ちをもって何にでも接していくという態度です。 これで自信が持てるようになりましたが、これがなかったら精神科医に成れなかったですね。 フランスに留学して堪能だったわけではないので、患者さんに対してそれこそ真剣になって聞きました。 ずーっとやっていたら看護師さんから私は家族などからよーく話を聞いてくれると言われて、理解できなくても判ろうとする努力、という事を思い出しました。 デビュー作が「白い夏の墓標」で、32歳で卒業するころでした。 小説は段取りでは書けません、特に長編小説の場合は。 1000枚ぐらい書くとなると最後は判りません。 判らないなかを耐えていかなくてはいけない。 それは患者さんとの立場と全く同じです。 薬にしてもどのくらい効くかもわからない。 両方ともネガティブ・ケイパビリティだなあと言う事に気が付きました。
「プロの作家というのは書くことを辞めなかった人のことを言う。」 アメリカの作家の言葉。 どんな難しい事でも何とかしていれば何とかなる。 そんなふうにおおらかな気持ちで日々を生きていた方が、実を結んでいい状態が来る、というのは実感します。
東京大学仏文科卒業後TBSに勤務。 2年後に退職し九州大学医学部を経て精神科医に転身する。 医学部に入ると小説の材料になるものが転がっていたので、書き始めました。患者さんには「口薬」で、「めげないで。」と言って、「日薬」日がささないといけないし、「目薬」あなたの苦しみは私がちゃんと見ているからねと、それがあると患者さんは耐えられるんですね。 人生はどんなことも無駄にはならない。
開業2年目ぐらいに、けだるさを感じました。 定期検査で急性骨髄性白血病に罹っていることが判明。 即入院で骨髄は自分の骨髄の移植でした。 60歳が分岐点で60歳未満だと助かりやすい。 60歳だったので、五分五分ですと言われて仕舞いました。 半年入院しました。 ギャンブル依存症の患者が多かったが、自助グループがあり最後は全員で「神様私にお与えください。 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものは変えてゆく勇気を、そして二つのものを見分ける賢さを。」と必ず言うんです。 私もそういうものだろうと気楽に考えていましたが、入院してみたら、本当だったんだなと思いました。 急性骨髄性白血病は変えられない、元気に明るく楽しくという事は変えられるので、そして二つのものを見分ける賢さをと、本当にいいことを言ったんだなあと思いました。
「雨に濡れて」という短編小説を書きましたが、女医が乳がんになる話で、医師が病気になった時に隠してはいけないという事があり、急性骨髄性白血病のことは公表しました。 患者さんの安心にもつながりました。 絶対直って帰ろうと思いました。 「今日はこれから先残された人生の最初の日である。」という言葉も入院生活のなかで輝きました。
今月誕生日で76歳になります。 終活は考えて無いですね。 「老活の愉しみ」という本を書きました。 高齢者になっても婚活はあるし、就活もあります。 色紙を頼まれて「歯 母 ハハハ(笑い)」と書きます。 人生で大切なものです。 歯は食を楽しむし、健康です。 母は自分を生んでくれた母への感謝です。 後は笑い飛ばす。 シベリア抑留に翻弄された画家香月泰男の言葉、「一瞬一生」 その人の一瞬のなかに一生が詰まっている。 犬が16歳になりましたが、人間と違って自分の症状、不具合を受け入れているんですね、偉いなあと思いました。 「症状を見せない、言わない、悟られない。」 極意です。 症状がありながらも、目の前の忙しい仕事に精を出す。 老いは認めなければいけない。 忙しい人生で最後まで行く。