合木啓雄(アフターケア事業所運営) ・自立へと歩みだせない若者たち
社会的養護とは保護者がいない、あるいは保護者が育てることができない子供を保護して支援を行う事です。 厚生労働省の一昨年の調査によると、親からの虐待など家庭の事情によって社会的養護を受けなければならない数は、全国でおよそ4万2000人、そのおおくが児童養護施設や里親の元で暮らしますが、18歳になると施設を退所し、自立しなければなりません。 退所した人のなかには頼る人がおらず、社会に出て孤独を感じることも多いと言います。 そうした若者たちの暮らしをサポートしているのが合木さんです。 県の委託費や補助金、寄付金などを受けて5年前にアフターケアー事業所「わっかっか」を設立、居場所を提供したり生活の相談に乗ったりしています。 社会的養護を経験した人たちを取り巻く現状を伺いました。
家に帰ってきたところでくつろげるような空間にできるように心がけています。 なるべく家に近い空間であるように心がけています。 施設を退所した人であればだれでも利用で来るようにはしています。 18~20歳の男女、または施設を退所した方が子供を出産して子供と一緒に来たりして、30代、40代の方もいらっしゃいます。 仕事の悩み、人間関係の悩みなどを聞くこともあります。 生い立ちを知っているので話せる部分もあると思います。 スタッフ4名でやっていますが、それぞれ社用の携帯を持っていて、ラインとか、フェイスブックとかSNSを使って、若者が連絡しやすい方法で連絡が取れるようにしています。 発信しやすいように心がけています。 訪問することもやっています。 体調を崩して一緒に病院へ行ってほしいというようなことで付き添ってゆくこともあります。 民間にしかできないこともあると思っていて、より身近な存在に成れるようにと思っています。
大阪で両親と兄弟5人で暮らしていましたが、祖母が亡くなってから丸亀市内に引っ越してきました。 母が、小学校3年生の時に家出をして、父に育てられました。 母は突発的にいなくなることがあったのと、父が酒を飲んだ時に暴力をふるうという2つのことで家出をしたものと思います。 父に連れられてよく海に釣りに行ったのを覚えています。 中学の時に父が病気になり入院することになりました。 僕たち3人が児童養護施設に入所することになりました。 父は肺がんで、入所している時に亡くなりました。 これから先どう生きて行けばいいのかわからなくて、お先真っ暗という感じでした。 45~60人ぐらいの大きな施設でした。 中学生では同じ年の子が5人いました。 高校時代は施設にいるという事で、何となく違和感を感じました。
18歳で施設を出なければいけないので、或る意味漠然とした恐怖感がありました。 18歳で大学進学が出来なくて、半年間延長させてもらって予備校に通いました。 前例がなかったので有難かったです。 学費は奨学金、生活費はアルバイトでした。高校3年生の時に実習に来てくれた先生との出会いが、僕のその後の進路を変えるきっかけになりました。 自分が経験した施設のことを生かせるのではないかと思いました。 大学を卒業して香川県に帰って民間の児童養護施設に就職しました。 中学の女性徒たちが集団で、壁中に落書きしたり、脱走するとか、という事件がありました。 話す中でわかることよりも判らないことの方が多いんだなという事に気付きました。 判ろうという姿勢が大事なんだなと思いました。 時代も背景も違う。 自分自身が決定してゆくことが大事だと思います。 言ったことに〇とか×とかジャッジはしないようにしています。
大学時代に母が生きていることが判り、生活保護を受給するなかで、子供の僕たちにも扶養義務があることの連絡がありました。 当時は対応はできませんでした。 通知が来なくなり、施設に電話をしたところ亡くなっていたのが判りました。 母と一緒に暮らしていた人がいて、手紙を書いて会ってくれることになりました。 会って話を聞いたら、息子たちのことを気にしてはいたが、自分で家を出たから自分から会いに行くことはできないと言っていたそうで、それを聞いた時に物凄く申し訳ないことをしたなと思いました。
成人することによる契約行為、お金を借りるなどは、18歳で出来るようになるが、20歳になって出来るよりも、危険なところはあるのではないかと思います。 躓いたりしてもどこか大人に頼れることは大事かと思います。 自立、身辺的な自立、精神的な自立、経済的な自立、などがありますが、困ったことを言いながら生活してゆくことが自立ですよ、一人で生きてゆくのが自立ではないんだよと、言う事は常にサインを出しています。 突然のピンチがやってきた時に、僕たちスタッフの誰かの顔を思い浮かべて、連絡してくれたら本当にありがたいなあと思います。 若者自身の声に寄り添ってゆくことで、若者自身が自分らしく生きて行けるように、僕らは心を繋いでゆくのかなあと考えています。 心を繋いで子供たちと一緒に生きていきたいと思います。