2023年7月22日土曜日

野村良太(登山ガイド)         ・〔人ありて、街は生き〕 670キロ・ひとりぼっちの大冒険

野村良太(登山ガイド)   ・〔人ありて、街は生き〕  670キロ・ひとりぼっちの大冒険 ~北海道分水嶺単独縦断~

野村さんは大阪府出身の28歳、北海道大学ワンダーフォーゲル部での活動をきっかけに、山岳ガイドの道に入り2022年2月から4月にかけて、北海道の中央部の山岳地帯宗谷岬から襟裳岬までの670kmを単独で走破しました。   この活動によって冒険家植村直巳の名を後世に伝えようと創設された植村直巳冒険賞を2022年度に受賞しました。   肉体的にも精神的にも厳しい670kmの道のりの中で何を感じて、達成したものは何か、お話を伺いました。 

植村直巳冒険賞はこれまで海外で活躍された方ばっかりだった。  僕の場合は北海道の大縦走だったので、国内での受賞は僕が初めてだったようです。  吃驚しました。      他人がやったとかと思うぐらい突拍子のないものです。    小、中、高とずーっと野球をやっていました。  登山は北海道大学に入ってからです。   山が好きで選んだというわけではないですが、ワンダーフォーゲル部に入りました。  北海道を中心に四季を問わずいろいろな山を登りました。  4年間で400日ぐらいは山にいました。

単独行をするようになって大きい山に行きたいと思って、知床半島、日高山脈などを全山縦走しました。(2~3月)  志水哲也さんという方が襟裳岬から宗谷岬迄半年間かけて、何回かに分割して縦走した方だという事が判りました。(2019年)  卒業のタイミングでコロナになってガイドとして生きて行こうと思っていましたが、夏までの仕事が全部白紙になってしまいました。  その年の夏ぐらいから準備を始めました。  先輩にも話をしましたが、突拍子もないことだと言われました。  いつ頃出発したらいいのか、食料は、どのぐらいかかるのか、登山道具とか暗中模索でした。  お金もなかったので企業とコンタクトを取ったりしました。   

襟裳岬から出発して宗谷岬まで向かうルートで一回失敗しています。  全体のスケールが見えていませんでした。   失敗して得られるものもありました。  今回は宗谷岬から出発して襟裳岬のルートにしました。  前回は南から技術的に厳しい日高山脈を最初に越えたいと思っていました。  南斜面は太陽で雪がザグザグになり登りずらい。  北斜面は凍っていてそこを降りないといけない。  効率が凄く悪くて、北から行かなければいけないと気づきました。   

宗谷岬を出発したのが、2022年2月26日でした。  帰ってきたのが4月29日でした。(63日間)  風速の一番強い時には風速40mぐらいありました。  雪が真横に飛んでいるような状況で、テントなどでやり過ごしました。  寒い時にはマイナス20℃ぐらいになります。  荷物は一番重い日で45kgぐらいあったと思います。     一日8~10時間歩きました。  楽しい時間は良く見積もって10%ぐらいです。   あとは踏ん張っている、我慢の時間が長いです。   一番多く食べていたのはアルファ米で水でもどして、乾燥野菜、乾燥高野豆腐、フリーズドライのスープを飲んで、ペミカン(加熱溶解した動物性脂肪に粉砕した干し肉ドライフルーツなどを混ぜ、密封して固めることで保存性を高めた食品)でカロリーとタンパク質がとれる。 ほぼ同じものを同じ時間に食べていました。  

山頂に立った時の景色は北海道の山を独り占めにいているような感覚が何日かに一回訪れます。  北海道大分水点という、日本海とオフォーツク海と太平洋の境界になっている一点が北海道の真ん中ぐらいにありますが、稜線を一回り観た時になんと贅沢なことをしているなあと思いました。  爆弾低気圧が来ると丸々3日ぐらいは何もできない時間が出来てしまいます。  ほぼ60日間を厭でも自分と向き合わざるを得ないです。  気持ちの部分は本当に浮き沈みが激しくて、勘弁してくれという思いでした。  なんでこんなしんどいことをやっているんだろうというのが9割あります。  携帯中はラジオを一日10時間とか15時間つけっぱなしにしていました。  気晴らしになりました。

地図の裏に日記をつけていました。 後半になるほど、いろいろ考えることがあり書くことが増えました。  後半は食料も少なくなり、空腹を紛らわすためにも書きました。    読みかえすといろいろのことが鮮明に思い出されます。  最大のピンチは最後の食料デポ地に荷物を置いた時点で、食料がねずみに荒らされてしまって、その先使う予定だった食料が2割ぐらい使えなくなってしまって、大きなミスをしてしまったと思いました。 事前に食料とか燃料などを4か所の避難小屋のおいておきます。  札幌の友人に手配してもらって乗り切りました。(サポートを突き放す胆力はなかった。)  

アイゼンを使わないで済むようになって、核心部は抜けたと思いました。(3,4日前) 独りで行ったけど沢山の人に支えられている思いでいたので、仲間にむかえられた時には目頭が熱くなりました。  自分の力でやり遂げたと言う実感はないです。  経験をどう生かすか、平出和也さんと言う登山家が「自分が経験して成長したかどうかは、経験した時点ではわからない。  その経験を次の挑戦をするときに、上手く生かせた時に、初めて前回あんなふうに成長できたんだとか、あの時よりもうちょっと出来るようになったんだなという事が実感できる。」と言われていて、まさにその通りだなあと思います。