穂村弘(歌人) ・〔ほむほむのふむふむ〕歌人 馬場あき子
馬場さんは1928年(昭和3年)生まれ、東京都出身。 現在の昭和女子大学に在学中、短歌結社「まひる野」に入会、同じころ能楽の喜多流宗家に入門しました。 卒業後は教員となり組合活動にも従事、多忙な日々を送る中、1955年(昭和30年)、処女歌集『早笛』、1959年には第二歌集の『地下にともる灯』を発表し、女流歌人として注目を集めます。 その後、戯曲、評論などを執筆の場を広げ、1977年には現代短歌女流賞を受賞した第五歌集『桜花伝承』を発表、29年に及んだ教員生活にピリオドを打ち、夫で歌人の岩田正さんと『かりん』を立ち上げるなど、新たな歩みを始めました。 これまでに受賞多数、2019年には文化功労者に選ばれました。 2021年(令和3年)にはこれまでに発表した27の歌集およそ1万首を網羅した「馬場あき子全歌集」を刊行し、今年はドキュメンタリー映画「幾春かけて老いゆかん 歌人馬場あき子の日々」が上映され、その凛としてチャーミングな姿に多くの人が感銘を受けました。 馬場さんのお話はそのまま戦後の女流短歌の流れと重なり、恩師でもある窪田 空穂(くぼた うつぼ)や前衛短歌の代表的歌人塚本邦雄の思い出から若手の作品の批評に至るまで、明晰な記憶力の元自在に書き周りました。
食べ物などは全く気を付けていません。
「使ひ捨てのやうに手荒く棲(す)んでゐる地球さびしく梅咲きにけり」 馬場あき子
スケールの大きな歌。
馬場:なんでも使い捨てが流行った時代があり、「使い捨て」という言葉を聞いているうちに、地球の使い捨てに直結びついてしまいました。 そのなかで梅が咲いているというのはとっても哀れで哀しい感じがして詠んだんですが。 今はもっと過酷に進んででいる。 木蓮の花も小さくなってきていて、木はなんか異変に感づいているんじゃないかと思います。 葉っぱの茂み具合、花も季節を先取りするように咲いてしまう。 とっても怖い感じがします。
穂村:戦前、戦争に向かって時代が流れてゆくときの暗さは、今の感じとも少し違ったんですか?
馬場:似ているんです、物凄く。 庶民の我々が手の届かないところでどんどん変わって行く、それが似てます。 それをいやおうなく呑み込んで、生きてゆくという。 2・26以降強くなった。 中学3年までは年間授業を3か月止めていろんな仕事場に下放され、次には半年になり、全面的となりました。 22年から歌い始めました。 そのころから左翼思想が蔓延していました。 朝鮮戦争が始まって、お金がどんどん入って来て、良い思いをさせてこれでよかったとみんな思ってやるわけです。
穂村:『地下にともる灯』は異様な感じがするけど、そういったことを聞くと時代の必然性の中で生まれた歌集。
馬場:抒情を切らなければいけないといわれて、ドライに事実を見つめなさいと言われて『地下にともる灯』が出来るわけです。 でも多分に抒情的なところがあります。 社会派の女流歌人が登場したことになる。 10年間の長いロスがあって、『無限花序』が生まれる。 夫とは歌のことは何も言わないです。 女性では歌を詠む人はほかにもいましたが、歌集を出したのは私だけでした。 結社代表で女性が出てきました。 怪しげな手紙が来て集まって、青年歌人会(男性もいた)が出来るんですが、そこで女性の交流が生まれました。 女人短歌は昭和24年に出ています。
戦争未亡人のか歌集がでて、川端康成、斎藤茂吉、窪田 空穂などが書いていますが、これは素人の歌だと思って書いている。 投稿歌のなかでも秀以下の歌ですが、手記がついている。 身体を売っている人、物凄い苦労をしている人もいる、そういう手記がついているのに、よくもつれなくこんな批評が出来るなと思って、私は怒ったんです。 女の生活は男は分かっていないという事が判ったんです。 ただ歌ってればいいというのが女性の歌い方の基本でした。 褒められた人だけが世に出てゆくというのが普通なんです。
穂村:帯に馬場さんが推薦文を書いているんですが、どれも凄い切れ味の、どれも一番いいところを輝かせてあげる一行を書くんです。 人間が好きなんです。 でも嫌な人もいます。 5人選考委員を選ぼうと会議の席で出ると、当然馬場さんは入って、「じゃあ二人は女だね」と馬場さんがまず言います。 決選投票でいつも負けてきました。 与謝野晶子も同様であの時代にもう一人が居なかった。
馬場:最近の若い人たちの歌は面白いと思っています。 私や穂村さんの時代までは五、七、五、七、七の観念がまだある。 それから下の時代が段々に別れていくわね。 川島結佳子はお父さんが認知症になって暴力をふるうが、そういう歌を出している。 郡司 和斗 祈りと破壊が自分の中に住んでいて、そういったものとか言い流しです。 でも短歌の韻律で読めちゃうんです。 「押せば簡単に倒れてしまうみずからの心体を忘れ殴って来る父」
穂村:南北の分かれている国があって、そういう国の情勢を歌う時、「みんなみ」という歌語があるが、それを使った歌に違和感を覚えたことがある。 「みんなみ」というを使うと、美的な世界に変容してしまう。 ラップは社会の底辺から起源をもつものだから。
馬場:短歌をラップで歌えない事はないけれども、それは短歌ではなくなってしまう。 読み下しの歌は歌っちゃうときえちゃうものがある。 五、七、五とか切って読むときに、その空白に何かが生まれている言葉なんだという事に気が付くわけ、あれは不思議ですね。
穂村:安永 蕗子さんのところでトイレについの短歌を歌ったら嫌がれました。
馬場:安永 蕗子さんは美意識の最後の持ち主ですね。 毅然としていました。 死のことをテーマにして歌う人もいますが、私はあまり好きじゃないですね。 生のことを歌う。 自分が一番くだらない人間だと認識すれば、よそを見る時も面白いのよ。 欲しいというものはないですね。 欲しいと思うと心を一つ奪われる、寄ってくるもので満足しなければ。 昔は忙しくて寝てから作りました。 寝ると身体が解放され、いろんなことが浮かんでくる。 今は横になっても浮かんでこない。 昔は下の句で言いたいことを言ってしまって、上の句を作っていましたが、今は上から言い流しです。 作ってから推敲し直します。
穂村:若いころの歌は恥ずかしいものがいっぱいあるが、或る意味あれは力です。
馬場:70歳になると、軽薄なことは言わないという馬鹿なことがある。 私たちの時代は先を見通すことが出来た時代だったと思います。 自由民主主義の時代は難しい。 差別の問題でも。 『地下にともる灯』を出した後、10年間の空白があり、いろんな試みをしたが、身を滅ぼさないで何とかやって来ました。 古典評論を認めてもらって、お能の形式がいいと思って「橋姫」を書きました。 その前に「舞歌」も書きました。 原点は「生きる」という事です。 窪田 空穂から教わった最後の教訓です。 窪田 空穂は死ぬ直前まで生きることを考えていた。 だから今も、生きることを考えています。