2023年7月18日火曜日

三波美夕紀(三波春夫さん長女・元 マネージャー)・今、三波春夫が新しい

 三波美夕紀(三波春夫さん長女・元 マネージャー)・今、三波春夫が新しい

7月19日は昭和の歌で国民的歌手と言われた三波春夫さんの誕生日で、存命であれば100歳を迎える記念の年です。  三波さんは長編歌謡浪曲、セリフ入り歌謡曲など独特の世界を切り開きました。  その三波さんの芸の世界を未来に伝えようと、三波さんの長女の三波美夕紀さんは、南流を創設し長編歌謡浪曲の指導をはじめ、所作指導など続けています。  三波さんに三波流を通して何を残し、何を伝えたいかなどを伺いました。

亡くなって22年になります。  朝起きて夜寝る迄三波春夫でした。  空いている時間は原稿を書く、本を読む勉強家でした。   寝っ転がってテレビを見るという姿は見たことがないです。   「お客様は神様です」のフレーズを生むことになったとは、昭和36年に公演ツアーの最中に、司会者が「さあ三波さん超満員のお客様どう思われますか。」と尋ねたことに対して「あー 神様の様です。」と言ったら、お客様がワーッと喜ばれて、やり取りをして、次の土地、次の土地でもやってくださいという事を興業師さんに言われて、「お客様は神様です」というようになったようです。  真意は「神前に立って祈る時のような気持で、心をまっさらにして歌わないと完璧な歌は歌えないと、だから私はお客様を神様と見て歌います。」という意味ですが。

16歳で南篠文若(なんじょう ふみわか)と言う名前でデビューしました。   20歳で歩兵として陸軍に召集されて、満洲の北部差全線のところに送られてしまいました。    退却行軍、終戦後は4年間シベリアに抑留されました。  帰国後浪曲師に戻って、その後歌手になりました。  戦時も抑留の時も周りから浪曲をやってほしいという要望があったそうです。   抑留中に30作ぐらい新作浪曲を書いて聞かせてみんなが元気になったそうです。   ソ連側からの要求があったと言っています。  帰国後浪曲師に戻ったんですが、「農民よ立ち上がれ」みたいな内容だったのでお客さんから受けなかったようです。 そのうちに受けるような形になって行きました。   

浪曲のお客さんが減って来て、お客さんから「浪曲よりも歌を一杯やってくれ」と言われて歌の時代が来ているんだという事で、歌手になる決心をしたんだそうです。(昭和26,7年)  先生について歌謡曲の発声法に直して、昭和32年の「チャンチキおけさ」と「船方さんよ」でデビューします。 A,B面共に大ヒットすることになります。  当時は洋服で歌うのが当たり前で、洋服で歌っていたが、歌とあわないという事で、着物に変更しました。(半年後) お客さんに喜ばれたそうです。  

オリンピックが昭和39年に行われ、テーマソング「東京五輪音頭」がその前年に発表された。   日本の復興を見せる大イベントなので、どこに行っても東京五輪音頭」を歌いました。  昭和42年 日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソング「世界の国からこんにちは」が8社競作で発表され、総売上げが300万枚を突破する。

浪曲のいい節と歌をドッキングさせて、何か作れないかという事で、長編歌謡浪曲というネーミングで、作っていきました。 「俵星玄蕃」、「紀伊國屋文左衛門」など自分で書いて作っていきました。  40作以上新作長編歌謡浪曲を作りました。 昭和47年「大忠臣蔵」は3時間10分ぐらいの組曲アルバム、平成6年「平家物語」は2時間25分の組曲アルバムです。  日本人の真心を平家物語を通じて、世の中に表わして行きたいという意味でした。  平家物語は構想10年執筆6年でした。  

長編歌謡浪曲のスタイルは1番、2番と歌があり、浪曲の節に入ります。 登場人物がセリフを語って、節があって、歌で終わるという形です。  すべて三波が作りました。   新しい人がやろうと思っても、譜面が残っているのは歌の部分だけでした。 それで私がその節とセリフの部分を教えるようになりました。 

三波は弟子を取りませんでしたが、作品を作る為に時間がなかったんだと思います。   若手の演歌歌手の山内惠介さん、三山ひろしさん、辰巳雄太等から教えて欲しいという事で教えています。   所作も難しいので教えています。   長編歌謡浪曲はお客様が喜んでくれるから、と皆さん実感しています。  一人ミュージカルと言った雰囲気です。   辰巳雄太さんはおじいちゃんとカラオケで、マイクを長く握っていられるからという事で、長編歌謡浪曲やっていたそうです。  

2011年に「三波流」を作る。(三波が亡くなって10年後)  歌に合わせた所作、本物を作っていきたいと思いました。  三波は作詞とか、仕事は早いなと思いました。(短い歌ならその晩に作詞してしまう。)  「自分はいつなんどきでも、人に笑顔を向けられるような人で居たい。」と言っていました。  真心の人、物事をおざなりにはしない人でした。  100年という事で4枚組のDVDを発売します。(生涯が詰まったようなDVD)  来年に生誕100年記念公演を行います。