渡貫淳子(第57次南極地域観測隊員・調理師) ・美味しい仕事人〕 南極で培った食の知恵
第57次南極地域観測隊は2015年から1年4か月間に渡って活動しました。 調理師の資格を持つ渡貫さんは、南極への憧れから調理隊員の存在を知って、隊員になるために挑戦、3度目の挑戦で夢が叶いました。 母親としては初の調理隊員でした。 活動期間中は限られた備蓄食糧で30人3食の全てを賄います。 また南極ではゴミは一切捨てられないという決まりがあります。 しかしそんなフードロスが許されない状況の中から、食生活のエコの知恵も生まれました。 渡貫さんはいま南極で体験し、培ってきた食の知恵を日常生活の知恵として役立ててもらいたいと全国各地を訪ねています。
南極の方は今どんどん冬に向かっています。 マイナス20℃とか寒くなってゆく時期です。 料理の「エコール辻東京」で先生をしていました。 子供のころは好き嫌いも多かったんですが、成長するにつれて食べることに興味を持ちました。 私は青森県の八戸市出身です。 食べる店も少なく自分で作ってみようと思ったのがそもそもの始まりでした。 中学からは台所に立つようになりました。 台所の一角に自分の使う材料、調理器具などをいれていました。
新聞に南極で活躍していた人の記事が載っていました。 その記事が女性だったという事もあって、衝撃を受けました。 その数年後に「南極料理人」という映画があり、それを観て私の仕事は南極に行けるなという事に気が付きました。 具体的に動き始めました。1年に一回選考があり、3年目で受かりました。 書類選考と規定数の推薦状を添付しなければいけない。 次に2次選考に進みます。 私の前は女性の方で海上保安庁からの派遣の方でした。 一般からの応募では私が最初になります。
30人分の3食プラス夜食、おやつだったりします。 口に入るものは全て準備します。 隣の基地までは片道3週間かかります。(日本の基地ではない。) 観測隊に参加するために日本食だけでなくいろいろな料理が出来るように勉強しました。 昭和基地と日本の国内準備をする事務所に内線電話があり、昭和基地と繋がるようになっています。(衛星回線でつながっている。) あとどのくらい食材が残っているかなどの確認が引継ぎになります。 予算内におさまるように発注をかけて、冷凍のコンテナに仕分けしていれて、(自分たちでやらないとどこに何が入っているかわからないので)、南極に運んでゆきます。
歴代の方の資料とか経験とかで発注してゆく感じです。 買い忘れたものとか量が少なかったものなど、ありました。 紅ショウガは添え物のような認識でしたが、牛丼を出した時に一面に紅ショウガを乗せた方がいました。 それを観て計算したら1年分は足りないと思いました。 紅ショウガを出す回数を調整しながらなんとか誤魔化ししました。 肉と魚に関しては全て冷凍です。 玉ねぎ、ジャガイモなどはフレッシュな状態です。 生鮮品でもって行けるのは卵、牛乳、などですが、ほぼ冷凍ものです。 お菓子は大切できちんと持って行っています。 チョコレートは争奪戦になります。
夏の時期に到着するんですが、雪がほとんどないところにヘリコプターで落とされます。 工事現場の風景のようで、アレッという感じです。 どういう風に生活すれば、南極では一番適しているのか、経験者の方のやっていることから学びました。(水の使用など) 水は現地で雪を溶かしながら作ります。 相方さんと毎日30人分作ると休みが取れないので、交代で30人分作ります。
「南極の食卓」という出版した著書があります。 エネルギーを可成り使うのでボリュームのあるものを作ります。 和食、洋食、中華、時にはエスニックなどいろんなものを出します。 時々リクエストがあり、対応しています。 食材の配分が難しいです。 時と場合に応じて家庭料理、イベントなどのためのプロとしての料理を行ってきました。
材料を最後まで使い切りたいという思いと、生ごみが出るので出来るだけ生ごみが出ないような料理を作らないといけない。 一般には廃棄するようなものも別の料理に作り替えたりしました。 ゴミはすべて日本国内に持って帰ってくるようなルールになっています。(環境保護条約) 生ごみは生ごみ処理機で乾燥させて軽く小さくして、焼却をかけて灰をドラム缶に詰めて持ち帰ります。 料理が足りないと困るので若干多めに作り、余った時には、それをどう次の料理に変化させるかという事が一番の課題になって来ます。
「悪魔のおにぎり」 夜食として出していたおにぎりが、何故この名前がついたのかというと、余った材料で夜食のおにぎりを作っていまいた。 お昼に天ぷらうどんを作って、天かすが残りました。 夜ごはんが終わってご飯と天かすだけが残りました。 甘じょっぱいたれを作って混ぜて、それにアオサノリ(たまたまこれも残っていた。)を加えました。 好評だったが、おにぎりを出す時間がまずかった。 23時とかに出して、カロリーが高いので絶対食べてはいけないと思いつつ、つい手が出てしまう。 或る人が「悪魔のおにぎり」という名前を付けました。 夜勤で疲れている時に、「食堂におにぎりが置いてあって、そのおにぎりを食べるのが、本当に自分は幸せだったんです。」と言ってくださって、作り手として最高の言葉を頂けました。