杵屋邦寿(長唄三味線方) ・三味線トークの魅力を語る
杵屋邦寿さんは昭和32年東京生まれ。 長唄三味線の世界に飛び込んだのは18歳の時、それから48年長唄と三味線の習得に励み、海外を含めこれまで500回を超える公演を重ねてきました。 長唄や三味線の馴染のない方のも判りやすく、親しみやすいものにしたいと歌舞伎のほか落語、昔話など様々な分野の出し物を取り入れて、三味線一人ライブを行っています。
長唄は、400年ほど前に歌舞伎という御芝居が作られて、唄、楽器で盛り立てるという役割で発端は出てきましたが、素の演奏を楽しむというジャンルのお座敷の唄が作られて、増えていきました。 江戸末期文化文政から明治にかけてが全盛期と言われています。 「伝の会」を平成元年に友人の松永鉄九朗と立ち上げ、ライブ活動を始めました。 ライブを重ねるうちのユーモアな事、洒落っ気が出てきて笑わせるというような状態で、お客さんが喜んできてくださった。 作品も自分たちでいろいろ工夫しました。
14年前から一人ライブというライブ活動を始めました。 去年100回を超える。 回数を重ねないと作品は良くなっていかないですね。 長唄の良さを何とか知らせたい、伝えたいと思って、「伝の会」を始めました。 三味線を弾く、語る、歌う、話すという4役をこなします。 僕の作品はセリフの多い作品が多いです。 演目、独り勧進帳、佐倉義民伝、黒塚、カラスの恩返し、山椒大夫、三味線落語、唐人お吉、朗読ありという、いろいろあります。 一回のライブで90分弱かかります。
*「唐人お吉」の一部を披露。
前進座という俳優養成所に入所して、1年間長唄の授業がありました。 先生から「うちの世界に来ないか」と誘われ飛び込みました。 10年ぐらい経って、長唄、三味線の深さ、面白さを感じて真剣に修業するようになりました。 早く演奏するのは津軽三味線だと思っているかもしれませんが、古典でもそういったものはあります。
*「大薩摩」の一部の早弾きの演奏を披露。
*「勧進帳」のなかの「滝流し」 古典曲を披露。
*落語「初音の鼓」を模写して変えたのが「甚五郎の泣き三味線」の一場面を披露。
*「川」 つがいの鮭が川を遡ってゆくところを描写した曲(オリジナル)の一部を披露。
小学校に行って、体育館ではなく教室で音に包まれるようにという希望で、演奏してきました。 三味線は500年前ぐらいに中国から琉球、沖縄を経て本土に伝わってきたといわれます。 最初琵琶法師が楽器を扱って路上で演奏していました。 棹、糸、バチなどをいろいろ工夫して変えていきました。 約250年前ぐらいに完成しました。 長唄は古典を覚えて演奏してきました。 津軽の方は曲をアレンジして、誰も弾かない技を使って演奏してきました。 左手の指さきで糸を奏でる、操るというのは津軽三味線の独特な手法です。 長唄の方はバチの手数、凄く叩いて音を出すという、手法の違いがあります。 義太夫、津軽は太棹、常磐津、清元などは中棹、長唄が細棹になっています。
三本の糸で、川の流れ、お寺の雰囲気、四季、雪と言ったものを音で表現するセンス、工夫は素晴らしいと思います。 歌舞伎とオペラは同じように発展したと聞いたことがあります。 海外演奏もしました。 国際交流基金で招かれ行きましたが、どこも満席でした。 三味線の音色は深く届く楽器であると、言っていただきました。 日本人の作った作品は素晴らしい、面白いんだというメロディーだけでなく物語に接してほしい、知ってほしい。
*「勧進帳」 安宅(あたか)の関所の場面を披露。