竜雷太(俳優) ・俳優人生を振り返る
竜雷太さんは1940年(昭和15年)大阪府生まれ。 1962年松竹に俳優として入社、その後アメリカに留学1966年帰国後すぐにテレビドラマ「青春とはなんだ」に主演し、一躍人気俳優となりました。 その後刑事ドラマ「太陽にほえろ」に10年刑事役で出演、その後もテレビドラマを中心に活躍、今年話題となったNHKのドラマ「大奥」では五代将軍の徳川綱吉の父(母ではないのか?)の桂昌院役を熱演し、話題となりました。 BS時代劇「大富豪同心」の3シリーズ目に出演中です。
BS時代劇「大富豪同心」の最初のシリーズが2019年、2021年に2シリーズ、現在3シリーズで主人公の、卯之吉(中村隼人)のおじいさん役です。 江戸一番の大豪商の大店の旦那役。 83歳になります。 突き詰めて役の分析とかをやる方ではなく、そのまんまやってきたというような感想です。 一つの作品を一つのゲームの様に受け取って、攻略してゆくようにしてきました。
第二次世界大戦中は父母の出身地であり、叔父のいる京都府舞鶴市に疎開しました。 父の囲碁相手が舞鶴に映画館を3つ持っていて、父に映画館の支配人になるように勧めてきて、引き受けました。 当時中学生は映画館には一人で行くことは禁止されていましたが、父にお弁当をもっていったりするときに映画は見放題でした。 映画への興味が湧いていきました。 高校を出て日大の映画監督のコースの方に行きました。 シナリオを書くコース、自主制作などがありましたが、下地があったわけではないので厳しかった。 ボート部に入ることにして、1年間しごかれて元気になり身体の基礎を作ってくれました。
TTCという広告代理店があり、お金を出し合って俳優の養成所みたいなものを作りました。 コマーシャルをやるタレントを養成するところでした。 そこに行って、俳優になるきっかけとなりました。 テレビのコマーシャルに出演するようになりました。 俳優の新人の応募で、受かって松竹の新人俳優となりました。 映画に3本出て、出演した『馬鹿まるだし』の鴨川ロケの帰りの汽車の中で、来日していた演出家のエドダンダスに身振り手振りで演劇論をぶったら仲良くなり、エドダンダスの推薦で1965年に芝居の勉強のため単身アメリカへ渡りサンフランシスコ・ステート・カレッジへ1年半留学することになりました。 エドダンダスの家に下宿しました。 11単位取るのが大変でした。 日本では形を押し付けちゃうような指導をしますが、自由にやれという感じでした。 即興みたいなものを大事にしました。 そういったことは帰って来てから、とっても役にたちました。
帰って来て半年もたたないうちに、「これが青春だ」の主演(26歳)を1年することになりました。 次の「でっかい青春」(27歳)も1年でした。 スタッフも家族のような感じでした。 綺麗な砂浜の撮影が終えて、プロデューサーの方々をみんなで海の方に運んだりして、喜んでくれました。 俳優とは素敵な仕事だなあと思いました。
矢張り次は「太陽にほえろ」ですね。 32歳で「太陽にほえろ」でした。 石塚誠刑事役を10年務めました。 ショーケン(萩原健一)、松田優作、勝野洋、渡辺徹みんなタイプが違うじゃないですか。 仕事が終わるとスタッフルームでよく飲んだりしました。 こんなチームがあるかというぐらい仲良くやって、仕事には厳しくて。 若いメンバーが殉職してゆく中で、5,6年経って自分は足を引っ張っているのではないかなあという感じがして、「私も殉職させてください」ということを言ったんです。 もう少し、10年まで(あと4年)やろうといわれました。(6年目の時) 他の仕事を辞めて「太陽にほえろ」だけをやりました。 4年間を終えて「もうちょっとやろう」といわれました。 「いつまでですか」と言ったら、「判らん」と言われました。 何とか殉職することになりました。(10年 525話)
降板4か月後にTBS系列『金曜日の妻たちへ』に村越隆正役で出演することになりました。 全く違う役だったので嬉しかったです。 その後「ケイゾク」、「スペック」ではコメディータイプの刑事役でした。 脚本に書いてある人物に、なるべく意図されたような人物を作り上げてゆくみたいな、それが楽しい事でもあります。 相手もある事なのでそれも楽しい事です。