小林幸一郎(クライマー・NPO法人モンキーマジック代表)・クライミングの可能性を信じて
小林さんは55歳、28歳の時に進行性の難病である「網膜色素変性症」と診断されて失明宣告を受けました。 クライミングを始めたのは高校生の時、視覚障害になってからはパラクライミングに活動の場を移して、世界選手権の全盲のクラスで4連覇を果たすなど活躍しました。 この3月に現役を引退、障害の有無や世代を越えて楽しめるクライミングの普及に力を注いでいます。 また小林さんの姿を追ったドキュメンタリー映画も現在公開中です。
パラクライミングは障害のある人のスポーツクライミング競技です。 スポーツクライミングは2020年東京オリンピックで初めて追加種目になった一般の人たちのクライミング競技です。 それの障害者版がパラクライミングです。 まだパラリンピックの種目にはなっていません。 片足、片腕の切断、神経障害、麻痺のある方が出場する様々なクラス、障害の程度に応じたクラスがあります。 私は視覚障害でB1全盲のクラスで出場してきました。 一度も登ったことがないコースを誰がより高いところまで登れるのかという事で順位が決まります。 約15mの壁を登りますが、ホールドを使って登りますが、我々はサイトガイドと言って目の代わりをしてくれるパートナーが一、位置、形状などを教えてくれます。
2006年にロシアで開催されたパラクライミング選手権に出場、当時38歳でしたが優勝しました。 どんなルールで、どんな人が集まって、どんなレベルの協議がおこなわれるのか、全くわからないままロシア・エカテリンブルクに行ってきました。 新しいつながりが出来てもっと良い競技にしよう、発展させようというような話をして、そこから視野が広がって行った大きなきっかけになりました。 2014年からは4連覇を果たす。 2023年3月に行なわれた日本選手権を最後に引退しました。 この時の成績は第二位でした。
2022年日本代表に選ばれて、オーストリアで開かれたワールドカップの準備をしていましたが、体調を崩して出場を断念しました。 それが引退の大きなきっかけになりました。 2020年日本パラクライミング協会を一般社団法人化して立ち上げました。 その共同代表についていて、いろいろ考えて2023年8月にスイスで世界選手権があるが、そこをゴールに決めて引退を決めていました。 日本選手権で二位という結果になってしまって、代表選手には選ばれなかったので引退することにしました。
子供のころからスポーツ、学校の体育は凄く苦手でした。 雑誌をめくっていたら新しいスポーツ、クライミングの記事がありました。 自分の目標に向かって自分で頑張るスポーツと書かれていて、自分でも楽しいかもと思いました。 高校2年生の時にその教室に申し込みました。 当時は自然の岩登りしかありませんでした。 周りにはいろんな大人がいていろんな生き方を見せられて、生きるってこれでいいんだと、思いました。
28歳の時に車を運転していて、夕方、雨の時など観にくい感じがしたので、眼鏡屋さんに行ったきっかけで病気が判りました。 眼科の病院に行って精密検査を行い、遺伝が原因の進行性の「網膜色素変性症」と言われました。 治療法がなくあなたは近い将来失明しますといわれました。 当時アウトドアの医療品の会社に勤めていました。 やりがいを感じていました。 自分はこれからどうしていったらいいのか、壁がたちはだかりました。 まず中心部が見えなくなり段々進行してゆく症状でした。 文字が見えなくなり、悪い未来の事ばっかり考えるようになりました。
変化があったのは、人との出会いと、言葉に支えられた自分だったと思います。 色々な病院にいって、これが最後にと思っていったロービジョンクリニックで、ケースワーカーと話をする機会がありました。 「大事なのは貴方が何が出来なくなるのではなくて、貴方が何をしたいのか、どうやって生きていきたいのか、ですよ。 それがあれば貴方のことを周りが支えられる筈です。」と言われました。
当時はクライミングはしょせん趣味でした。(優先順位は低かった。) アメリカのコロラドの友人の結婚式に行った時に、クライマーがいてその人が、「アメリカには全盲でエベレストに登っている人が居るんだよ。」と教えてくれました。 視覚障害は自分が思っていたよりも、いろんなことが出来る可能性があるという、メチャクチャにポジティブなショックを与えてくれました。 調べて、もう一度アメリカに行って彼に会う事にしました。 そこが大きな転機になりました。 エリック・ヴァイエンマイヤーという人です。 彼は世界七大陸の最高峰を完全制覇した全盲のクライマーなんです。 たまたま年齢も同じでした。
目が悪くなり始めているのにクライミングは続けているので、他の目の見えない人たちにもクライミングの魅力を伝えられるんじゃないかと思いました。 そのことをエリックに話をしたら、「アメリカでは沢山の障害者がクライミングをやっていて、クライミングをやることで自信を取り戻したり、新しい可能性に気づけたりしているんだよ。」と言われました。 「日本でやっていないんだったら、それはお前の仕事なんじゃないの。」と言われました。 前に進もう、出来る事からやってみようと思いました。
2005年東京都に申請を出して、8月に法人化してNPO法人モンキーマジックを立ち上げました。 発足当時はまったく反応はありませんでした。 自分としては折れない自信がありました。 日本ロービジョン学会、視覚障害リハビリテーション協会などに対して実践発表をして、一人でも多くの人に知ってもらおうと、思って活動の方向を変えました。
2022年度に活動したクライミング教室、イベントの数は全部で129、参加者は延べ1029人、障害のある人が482人です。 立ち上げた2005年にはたった5人の視覚障害者を奥多摩に連れて行ったことから始まりました。 いろんな人が楽しんでくれています。 車椅子の方はロープを付けて安全を確保したうえでやるクライミングを楽しんでいます。 魅力は頑張れば上まで行けるという達成感、判りやすい自分の成長なんですね。
ドキュメンタリ-映画になって「ライフ・イズ・クラミング」が公開されています。 サイトガイドの鈴木直也さんとの二人がアメリカのユタ州の大地にそびえる自然の真っ赤な砂岩フィッシャー・タワーズに挑戦するところを追ったものです。 僕には大事な友人が欠かせないですね。 都道府県各地に拠点を増やしていきたい、全国の半分ぐらいになりました。 僕にとってクライミングは一生の友達だと思います。