2023年7月28日金曜日

大崎麻子(元国連職員)         ・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕

大崎麻子(元国連職員ジェンダー・国際協力専門家) ・〔みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの〕 

1971年生まれ、52歳。 上智卒業後米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修了。  国際連合開発計画(UNDP)でジェンダー平等と女性のエンパワーメントを担当し、世界各地で女性の教育、雇用、企業、政治参加促進等のプロジェクトを手掛ける。  現在はグローバル動向と日本の現状を熟知するフリーのジェンダー・開発政策専門家として、国内外で講演、セミナーを行うほか、内閣府男女共同参画会議の専門委員など複数の公職を兼務しています。

小さいころから海外に対するあこがれ、海外で働いてみたいという気持ちはありましたが、父が新聞社で勤務していたので、報道とか、メディアとかそいう領域で将来働いていたいと、子供のころは思っていました。   大学では幅広く勉強したいと思って、哲学、比較宗教学とかそういったものを学びました。  大学在学中に1年間アメリカの女子大学に留学しました。   男性と知り合い結婚しようという事になって、大学を卒業して結婚して、大学院に進学しました。  9月に大学院が始まりますが、妊娠していることが判って、入学の辞退を申し入れました。  大学院では子育て中とか、妊娠している人もいると、言う風に説得されて、「子育てと大学院の両立が出来ないことを合理的に説明してくれ」と言われました。  うまく説明が出来ず、進学することにしました。  

つわりがひどくて起きれなくて、匂いにも敏感になっていて、ジャーナリズムの授業は実践的でこれは無理だと思いました。   辞退しようとして行ったら、ジャーナリズだけではなくほかにもあるのでそこから選べばいいと言われました。  最後にたどり着いたのが人権人道問題でした。  多様な人たちがいるという前提でカリキュラムが組まれていたり、子育て中でも授業に行けるようにいろんなサポートがあったりしました。(30年前)   

自分の生き方、進路を決める時に如何にこうあるべき、という思い込みに如何に影響を受けるか、という事ですね。  母親からは結婚には反対され、子供が生まれたことを連絡すると、大きな責任もあることだし、「何も考えていないのか」という事で一時期音信不通になりました。   里帰り出産という文化はアメリカにはないんです。  産後2,3月で一時帰国して、母親は直ぐに面倒を見てくれました。  ニューヨークに帰る時には一緒に来てくれました。(息子も28歳になる。)    

その後国連に入り出張も凄く多かったんですが、アジアに出張する時には母が成田から一緒に飛行機に乗ってくれて、同行してくれることが1,2回ありました。  出産してからの方が人権の勉強に身が入りました。  世界人権宣言の冒頭に「すべての人は生まれながらにして自由であり、権利と尊厳において平等である。」と言う言葉が書いてありますが、実感を伴って蘇りました。    モチベーションが高まりました。  この子が大人になった時にはどういう世界になっていてほしいとか、時間軸、空間軸が広がりました。     

1990年代国連の幹部職に女性が少なかった。   理由は子育てで辞めてしまうので、両立できる環境を整備してゆくという取り組みが熱心に始まりました。   2歳までは子供を連れて行っても、子供の分まで支払われるような仕組みがありました。  2002年に娘を出産して、飛行機で一緒に行きました。   1歳になるまでにアジアの5,6か国行きました。  緊張して待っていますが、私が抱っこひもで娘と一緒にその場に行くと、急に緊張ががほぐれました。   そうするとフランクに話をしてくれます。  

様々な問題、生活上の問題に共感できる。  仕事にも生きてくるという事を常々言ってもらった。  急に子供は熱を出したりするので、常にプランB、プランCというようなこと迄考えて、リスクマネージメント管理が常に出来ていたりします。  残業はしたくないので集中して仕事をするとか、自分の時間管理も日々の生活のなかで訓練されて行きました。

当時の夫が日本に転勤になって、小学生の息子と2歳の娘育てなければいけなくなって、辞めてしまうのももったいないと思いました。  上司と相談したら、「ジェンダーという仕事、女性のエンパワーメントを手伝う仕事というのはどこにいてもできる。 あなたはかなり経験も積んでいる。 日本に帰っても専門家としてやってゆける。」という事で国連を辞めて日本に帰ってきました。  

日本に帰って来て離婚をしてシングルマザーになりました。  息子は小学校5年生で、私は就職しようとしましたが、見つからずフリーランスにしようと決めました。      子育てに周りの支援を利用するという事はニューヨークで学んだので、周りの手を借りながら育ててゆくというで対応していきました。   私が仕事から学んだことは、「すべての人は生まれながらにして自由であり、権利と尊厳において平等である。」これは凄いことだと思いまます。  国連の開発に携わって、国連の究極的な目標は、一人の人間が自分の人生の選択肢を増やして、それを自己決定しながら生きてゆく。  そのために必要な力を身に付ける、それをサポートするのが、開発の究極的な目的なんだ、というところで仕事をしていて、子育ての最終的な目標も、エンパワーメント、一人の人間が自己決定しながら、生きてゆける。  小さい時は心と身体の安全、安心、自分が大切にされているなという、その感覚が人間が生きてゆくうえでの一番の根っこになるので、大事にしていきたい事です。

息子が3歳の時に、本の時計のなかの3時が読めたので、時計が読めるのではないかと思って、いろいろとヒートアップしていきました。   息子は答えられなくて、「ママごめんね、僕まだわからないんだ。  でも4歳になったらきっとわかると思うからそれまで待っていて。」と言われました。   ハッとして、この子にはこの子のスピードがあるんだという事に気が付きました。  

子育ては親だけでやるものではないし、多様な大人がいろんな形でかかわって、子供を育ててゆくことが大事です。  自分で選ぶ、エンパワーメント、一人一人が意識してゆくことが大事だと思います。  選んで違うなと思ったらチェンジする、その発想は大事だと思います。   私も経験してきて正解はないと思います。  正解かどうかが判るのはずーっと後の話だと思います。