澁谷朋子(上武大学理事長) ・絵手紙で学生の心をはぐくむ
渋谷さんは日本でいち早く大学の授業に絵手紙を導入し、自ら学生たちに手ほどきをしています。 学生たちは授業が進むにつれて絵手紙が上手く成るだけではなく、将来に役立つ教養が身に付いていくといいます。 大学の授業に絵手紙を取り入れたきっかけや、渋谷さんが感じる絵手紙の魅力を伺いました。
上武大学はビジネス情報学部と看護学部の学生およそ2000人が学んでします。 1クラス140~150人で二クラスで300人程度絵手紙を学んでいます。 絵手紙は絵と文字と文章、3つでなりたっています。 筆のてっぺんをもってなかなか書きにくいが、いろいろ練習をしています。 2,3回目から描き始めます。 はがき一杯に自分の名前の一字を書いてもらい、色を添えます。 裏は両親あての住所と、その下に両親に当てての文章を書きます。 次には桜の葉とか苺、野の花、野菜、紫陽花、・・・段々と難しい題材に挑戦してゆきます。 筆先で描くので一気に集中しだし面白さを感じます。 最後授業には自分の大事なものを題材にして描いてもらいます。 200文字には10年後の自分に宛てて文章を書いてもらいます。
離れて暮らしている家族に感謝の気持ちを送ったり、学長とか理事長に描いたりします。 段々物事を考え、それを纏めて行き、人間性、感受性が育ってゆくような感じがします。 今の人は文章を書くのが苦手な人も多いので、200文字を書くに当たっては起承転結を教えて行って、書き方の練習をしていっています。 漢字とか意味を調べたりするので、文章を作る力は伸びていきます。 一クラス分を確認し、書き直しさせたりします。 文章が向上して就職活動にも役立ちます。
もう14年目になりますが、きっかけは私のカルチャー教室に看護師さんが数名習いに来ました。 患者さんが絵手紙を習いたいという事で、自分たちは絵手紙が出来ないので絵手紙を習いたいという事で来ました。 看護学部があるので、その生徒たちに習わせたら役に立つのかなあと思って導入しました。 集中して描かないと描けないので本当にシーンとして描きます。 全学部に広げていきました。 野球部も参加して、それだけではないかもしれませんが、2013年の春に全日本野球選手権大会で優勝しました。 集中力のほかに客観的に自分をみる力、自ら発信する力などが養われていると思います。
絵手紙を学んだブライト健太君は中日から4年生の時にドラフトで指名を受けました。 私に1年生の時に絵手紙を送って来ました。 試合に勝てなかったのは試合に出れなかった人にも責任があるというような内容のものでした。 彼は3年生まで試合に出ていないんです。 4年の春になって初めて試合に出られました。 凄い努力をしたと思います。 野球部の監督自身も描いています。
上武大学は渋谷さんのお父さんが1968年(昭和43年)に作った大学です。 渋谷さんは現在79歳。 北里大学で化学を学び、卒業後東大の研究室へ、結婚後海外でも暮らしました。
私が絵手紙を始めたのは1992年で、31年経っています。 或る時に新聞に絵手紙が載っていました。 それを観て私が求めていた世界だと思い小池先生の教室に通いました。 小池邦夫先生は絵手紙の創始者で、現在日本絵手紙協会の名誉会長です。 通信講座に入って2年目に入院してしまいました。 「能と心」という絵手紙を送ってくれました。 「がんばれ がんばれ 今日は立春」と書いてありました。 小池先生の絵手紙をずーっとベッドのそばに飾っておきました。 それが絵手紙をずーっと続けている原点と思います。 退院後3か月してから小池先生からカルチャー教室の先生をしてくれないかという話があり講師をすることになりました。
理事長になった後も通信講座は続けました。 小池先生への絵手紙は自分の心の整理、確認になりました。 絵手紙の導入が運動部に役に立つとは思ってもいませんでした。 絵手紙での国際交流の一環で海外にも行っていましたが、コロナ禍ではできなくなって、オンラインでシンガポールの大学と絵手紙での交流を始めました。 日本と違って凄く独創的です。 絵手紙を広げてゆくために、絵手紙ギャラリー&ミュージアムも作りました。 学生たちと小池先生の絵手紙が展示されています。