佐々木秀実(歌手) ・〔にっぽんの音〕
案内役:能楽師狂言方 大藏基誠
1980年長野県生まれ。 13歳の時にエディット・ピアフの歌声を聞きシャンソンの世界と出会う。 17歳の時に出場した「日本アマチュアシャンソンコンクール」では最年少で入賞、ライブハウスに出演し、注目を集める。 本格的にシャンソン歌手を志した佐々木さんは高校卒業後、フランスのパリに留学、21歳の時作詞家の阿久悠さんに見出され、「懺悔」で2002年にCDデビューしました。 ラジオ深夜便でも2009年に深夜便の歌「愛の旅人」歌っています。
端唄は、江戸末期から明治、大正、昭和の初期ぐらいにはやり歌だった。 父が茨城、潮来で料亭をやっていました。 小さいころそこにいましたから芸者さんたちがいていい時代でした。 幼稚園、小学校のころ端唄などに出会い憧れました。 日本の色街は文化の一つだと思います。 三味線を習いたいと思って土曜日の夜行で来て渋谷で習い日曜の夜に家に帰りました。 小学校2年から4年まで3年間毎週習いました。 中学2年の時に急性喉頭腫瘍を発症、手術を4回やって最後の手術の時に声が出なくなるかもしれないと言われて、母がエディット・ピアフのベスト盤のCDと自叙伝をもって、クリスマスプレゼントとして持ってきてくれました。 ピアフの愛の叫ぶような声を聞き、自叙伝を読んだら波乱に満ちた人生を送っていて、明日手術で声をなくしても、そんなことはどうでもいい事なんだなと思えたんです。 もし声が出る様であればこういう歌を歌いたいと思いました。 それが私とシャンソンとの出会いでした。
手術が終わって2週間しゃべってはいけないと言われて、声を出したとたんに涙が溢れました。 あの瞬間は一生忘れないです。 歌謡曲も好きで歌っていました。 スカウトされて働きながら高校へ通いました。 その間も邦楽のお稽古は続けていました。 高校時代は日本の芸能を志している人が周りにいたので、三味線の道に進むかどうか迷っていました。 1級上の藤間勘十郎さんに三味線音楽だけでやってゆくのは、血筋とか、或る程度のお金とか、いろいろあると正直いってもらえました。 発表できる場には居られるようにしておきたいと腕は磨いておこうと思いました。 シャンソンはやっていましたが、お稽古は続けていました。
去年、三味線秀実会を立ち上げました。 去年春に長野県でやって成功したので、秋に大阪、東京で行いました。
*「梅は咲いたか」 唄:岡安喜代八(1番)、佐々木秀実(2番)
出囃子にこだわって楽器も見ていただきたいと思っています。
端唄、男女の色恋をあえてあからさまに言わなかったり、隠しているところがいいです。
*春の都都逸 七、七、七、五で文句が出来ている。 唄、三味線:佐々木秀実
日本酒を飲みながら聞きたいところです。
端唄とシャンソン、通じるところはいっぱいあります。 シャンソンは日本語に訳されているものを歌うのが多いですが、その中にドラマ性があります。 端唄も日本語を操りますが、歌っている内容は共通するものがあります。 恋愛とか歌ってゆくのは世界共通の文化ではないかと思います。 ドキドキとかワクワクする気持ちは年齢ではないと思います。 フランスに留学した時に、日本で歌われているシャンソンは歌われていませんでした。 パリの人が知らない歌をわざわざ日本語に訳して歌っている。
*「聞かせてよ愛の言葉を」 シャンソン 歌:佐々木秀実 1930年に作られた。
日本の音とは、風の音ですかね。 日本人の凄いのは見えないものを想像する、見えない音を想像してそういう音に聞こえるとか、日本人の想像力は素晴らしい文化です。
歌う理想の姿としては、木で例えると幹の部分に佐々木秀実があり枝葉としてシャンソンがあったり、邦楽があったり、ジャズ、歌謡曲があったりする、それぞれを突き詰めたいし、その表現者でありたいという思いがあります。