土屋國男(ランドセル職人) ・子どもの背中に寄り添い60年
東京足立区で60年近くランドセルを作っている土屋國男さん(85歳)にとっても、春の新学期は嬉しい季節です。 厳しい徒弟制度を経て小さな町工場を立ち上げ、たゆまぬ努力と丁寧な仕事ぶりが評価されて、今年度の現代の名工に選ばれました。 土屋さんが目指してきた理想のランドセルとはどんなランドセルなのか、子供の背中に60年余り寄り添って来た土屋さんにランドセル作りにかける思いを伺いました。
予約するケースが段々早くなり去年の9月で全部うまってしまいました。 選ばれる姿を見ていると一生の思い出になるのではないかと思います。 岐阜県出身で中学を卒業して直ぐ上京して15歳でカバンメーカーに就職しました。 親方から革の扱い方を徹底的に叩き込まれ、革へのこだわり、丈夫さの追求など、職人技と技術だけではなく、人の心の修業時代が私の大きな財産になりました。 27歳で独立し、もう一人の職人と妻で11坪でスタートしました。 パートさんも3人入って来て仕事にも慣れた時に、技術コンクールに出展しないかと親方から薦められて、出展しましたが落選でした。 自分の技術の足りなさを凄く感じました。 技術を追求して力もついてきて、出展では入選をするようになりました。
全国百貨店協会会長特別デザイン賞、経済産業省局長賞などを受賞。 第二次ベビーブームもあり仕事がひっきりなしに来るようになりました。(1971~4年頃) 1990年代に入ると少子化、バブル崩壊、取引先の倒産などで一時期生産がほぼゼロになるというような状態に追い込まれました。 息子が会社に入って、ものづくりの良さを世間に伝える営業を担当して二人三脚が始まります。 徐々に世間に認知、評価され、工房系ランドセルを代表するブランドのひとつとして知られるようになりました。 2人だった職人も200人になり、これまでに生産・販売したランドセルは累計90万個を超えました。
ランドセルは丈夫で安全な使いやすい、という事にこだわってきました。 汗をかいてもベタっとくっつかないようにクッションに隙間を作ったり、肩のバンドも肩にフィットするような作り方です。 出来るだけ軽い材料を選んで軽くなるように作ってきています。 ミシンのかけ方、盛り上がりの形など見た目も工夫して常に品格のあるランドセルを目指しています。 艶も消すようにしてきています。 赤と黒だったのが色も増えてきました。 多機能化しました。
ランドセルは150以上のパーツを使い、300ぐらいの手仕事の工程を掛けて完成します。 最初は材料(革、金物など)選び、革の部位によって適材適所にわけ裁断します。 かぶせの部分は折り曲げしても皺など起きないように場所を選んで裁断します。 0.5mm違っても見た目に影響があったりするので気を使います。 ミシンは針の太さなど選びます。 かぶせの下の角は傷みやすいので、革を余分に当てって補強してあります。 菊寄せと言ってひだをきちんとそろった形にします。
6年間使ったランドセルを見ると、ここはもうちょっとこうしたほうがいいと、そういったことが一番よく判ります。 ミニランドセルを作る時に全国からいろいろなメーカーのランドセルが集まってくるのでいろいろ参考になります。
断ち包丁で裁断します。 鋼の部分が8~10cmあったものが、研いでいるうちに2,3cm迄減ってしまいました。 包丁の研ぎ方でその人の腕が判ります。 刃が真っすぐの方が裁断しやすいんです。 最近は型で裁断するので包丁の裁断はほとんどないです。 細かい細工を包丁で行う程度です。
人を育てる事で恩返しをしたいと思って、20年ほど前から若手育成に取り組んできました。時代に合わせた新しさも大切で、常に良いものを世に送り出そうと新しいものにも挑戦しています。 大人向けにも財布やトートバック、大人用ランドセルなども作っています。大人用ランドセルは外国人にも人気があります。 ランドセルはオランダのランセルと言うミニ用のバッグでしたが、日本に入って来て伊藤博文大臣が大正天皇のご入学のためにプレゼントしようとして職人さんに注文して作ったのが、最初のランドセルだそうです。
ランドセル選びは1年生の思い出です。 家族みんなで選んで、喜ばれるものを作って来てよかったなあと思います。