玉田元康・鹿嶌武臣・吉田秀行(ボニージャックス) ・〔わたし終いの極意〕 いのちいっぱい 僕らは歌う ~ボニージャックス65年
一昨年の夏トップ・テナーの西脇久夫さんが85歳で亡くなり現在は3人でステージに立っています。 創設メンバーでベースの玉田元康さん、バリトンの鹿嶌武さん、ともに今年89歳、2003年に加入したセカンド・テナーの吉田秀行さんは58歳になります。
*「小さい秋みつけた」 歌:ボニージャックス 作詞:サトウハチロー作曲:中田喜直
1958年 早稲田大学グリークラブに所属していたメンバーによって結成。 今年65年の節目の年になります。 就職難の時代だったのでそれなりの覚悟はしていました。 ラジオ東京の「青春ジャズ大学」という番組に卒業の記念にでたら、そこで審査委員長に偉く褒められてその気になりました。 プロへの登竜門的な番組でした。 ボニージャックスという名前はBonny(ボニー)= 美しい, 魅力ある;健康な;快活な Jack(ジャック)= キングでもない若者 という事です。
デューク・エイセスとダークダックスと共に日本三大コーラスグループと言われるようになる。
あだ名をつけて呼び合っていて、玉田元康=ノボ 鹿嶌武臣=トラックのトラ 吉田秀行=ヒデ です。
役割分担がそのまま性格になります。 テノールは目立ちたがり屋、気障、わがまま、その典型西脇でした。 恋の歌を歌わせると上手いがインテリではない。 インテリはバリトン、ベースです。 ですが恋の歌を歌わせると面白くない。 4人組はうまくバランスが取れる。 しかし、テノールが二人ともいなくなっちゃった。 デューク・エイセスもダークダックスも先に亡くなったのはテノールなんです。 彼らは結局解散してしまいました。 ボニーも辞めそうだという事で大庭照子さんが事務所に来なさいという事で続きました。 現在はNPO法人日本国際童謡館に所属しています。
セカンド・テナーの大町正人さんが2011年に病のために亡くなる。 トップ・テナーの西脇久夫さんが一昨年の8月病のために亡くなる。 セカンド・テナーがいなくなって西脇が吉田秀行に声を掛けました。 彼にとっては時代が違うので初めて聞くような楽曲だったので、大変だったと思います。 2003年に入って今年で20年になります。
私(鹿嶌武臣)は大きな病気もやっています。 最初は物が二つに見える。 病院に行ったら脳の神経が麻痺しているからという事でした。 次が大動脈瘤で直径が6cmになってしまった。 12cm切り取ってアメリカ製のナイロンで血管を繋いでいます。 虫歯だと思って歯医者に行ったら総合病院に行くように言われて、口の中に癌が出来ていました。(6年前) 手術をしなければ、後何か月かだと言われて、骨を削り取りました。4人部屋でしたが、舌とか喉を手術したりするので、しゃべれるのは私だけでした。 退院は直ることなく退院することもあるので、希望を失っては駄目だと言って別れた人もいます。 会話が出来るという事はこんなにありがたい事なのかと思いました。 退院して5日目にステージで歌いました。 待っている人がいるという事は有難い事でした。
私(玉田元康)は大病はしたことがないんです。 酒は飲んでいて、少なくするようにはしています。 タバコは吸わないです。 2018年2月には妻が先に逝きました。 鹿嶌武臣:生きている時にはしょっちゅう口論をしていました。 なんでも悪口言えるという事は嫌いではないんです。
私(玉田元康)は妻がいなくなって、子供もいないので一人で住んでいるんですが、まだ いるような気がしていたりします。 老人施設で仕事もしています。 介護、看護の資格がないので単純作業です。 朝食の下げ善とか、35部屋ある各部屋のトイレと洗面所の手すりを消毒液で拭いて歩いて、11時半になったら施設の皆さんとみんなと歌おうという事でやっています。 一回7曲ぐらいやっています。 1/3、1/4は僕より下ですね。週5日歩いて通っていますが、それが健康法にもなっています。
鹿嶌武臣:養護学校に行ってコンサートをよくやるんですが、詩とかの作品を貰ってきて西脇が曲をつけたりしてきて、レパートリーが増えてそれをレコードにする仕事があり、これがなかなか面白いです。 短い詩ですが、ぐっとくるものが多い。 僕にとっては一番大事なライフワークになりました。 50曲ぐらいになりました。 土の中に埋まっていては宝石として見えない、我々が光を当てることによって宝石になったと思います。 山口里美?さんの作品で「私のほしいもの」 近々にレコードにする予定です。 その子は亡くなってしまいましたが、母親は作品が残ったことに喜んでいます。
*「私のほしいもの」 歌:ボニージャックス 作詞:山口里美? 作曲:西脇久夫
私(玉田元康)はこの世界に入る前に小島正雄さんと出会ったのは大きかったと思います。 「世の中に役に立つようなことを少し考えろ」と言われて、身障者の施設、親のいない子
わたし終いの極意 一言
玉田元康:「けんけんころり」がいいですね。 鹿嶌武臣:これからの私は「下を向いて歩こう。」 そうすれば転びません。 吉田秀行:年輪を一つ一つ積み重ねて行ければと思います。