三浦雄一郎(プロスキーヤー) ・三浦雄一郎 卒寿の挑戦
現在90歳、2020年6月に頸椎硬膜外血腫を発症、緊急手術を経て8か月の入院生活を余儀なくされました。 今も手足の麻痺が残る中、今年秋の富士登山を目指し、リハビリに励む毎日です。
普段は札幌に住んでいます。 頸椎硬膜外血腫は首の後ろの頸椎から出血して、手術をしてその後に神経麻痺で両手、両足がしびれていて、リハビリの最中です。 100万人に一人とか、めったにない病気だそうですが。 いきなり明け方に手足が段々麻痺してきました。 救急車で病院に運ばれて直ぐ手術をしました。 半年は寝たきり、車椅子になり、その後やっと歩けるようになりました。 次男の豪太に助けてもらいながらスキーも何回か滑りました。 豪太が身体障害者が雪の上で遊べるデュアルスキーのことを始めたので丁度いい対象で一緒に楽しんでいます。 デュアルスキーは椅子に座ってスキーの板がついているようなものです。
今は週に2回ジムに行っています。 いろいろな機械を使って運動をしています。 それ以外に週に3回ぐらいマッサージに来てくれて、その後に階段の上り下りを3回ぐらいしています。 2021年の夏に東京オリンピックの聖火ランナーとして富士山で行いました。 2022年1月にスキー場に行って緩やかな斜面を滑りました。 体重のかけ方とか今もイメージトレーニングをしています。 やればやっただけのリハビリ効果はあると思います。
30代から50代にかけて世界7大陸の最高峰からスキーで滑走するという、世界初の快挙でした。 70歳、75歳、80歳でエベレスト登頂を目指して最高齢の登頂者つぃて認定されている。 豪太はじめ、シェルパの方々が助けてくれたおかげです。 1985年に54歳で南アメリカ大陸最高峰アコンカグアからの滑降を成功させた後、古稀でのエベレスト登頂の間、17年間空白がありましたが、スキー、旅行などはやっていました。札幌の500mぐらいの山も途中までしか登れない事になってしまいました。 99歳にしてなおモンブラン氷河の滑降という挑戦を続ける実父や、オリンピックに出場した次男の豪太らを見て、自分も頑張らねばという思いに至りました。 足に1kgの重りをつけ、5kg、10kgと各々の足首に付けて、背中には最初10kgでしたが最後には30kgの負荷を掛けながら歩くことで足腰を復活させていきました。 不整脈があって医師から余命3年と言われたこともありました。 心臓の手術を7回やってそのたびごとに回復はしていきました。
2019年1月、86歳でアコンカグア登頂を目指すが、ドクターストップがかかり断念することになる。(私は昇れたと思ったんですが。) 昨年の10月で90歳になりました。 父が亡くなったのは101歳でした。 父は雪のある階段で転んでスキーの板が首に掛かって首の骨が損傷して寿命を縮めてしまいました。 これがなかったら110歳まで生きたのではないかと思います。
小学校3年生のころは仙台で暮らしていました。 廣瀬川でよく遊んでしました。 東京、青森でも、海、山で楽しんで遊んでいました。 父親みたいになりたいと思っていました。
若いころは無我夢中で登っていましたが、70歳過ぎてからは色々な人の助けがあり、感謝しています。 また家族全員が協力して僕を助けてくれているので、有難く思っています。 夢が目標になり、目標が行動になる。 夢が行動をうながすことになると思います。 出来るだけ口にだす。 それを助けてあげようとする仲間が増えてくる。 ポジティブな考え方は母親ののんびり、前向きな性格が有難かったです。 母親は89歳で亡くなりました。 兄弟は弟2人、妹1人でみんな元気にやっています。 面白い事、ためになることを見つけるのが嬉しいです。 今でもステーキは300,500g食べます。 スキーは自分だけで滑れるようにしたいです。 ちょっとした山を登り始めて、秋には富士山に登りたいと思っています。 歩けるところは自分で歩いて、登山用の車椅子も利用できればと思っています。 99%は引っ張てもらう事になると思います。
幾つになっても夢を諦めないで、夢を追いかける、人生を前向きに登り詰めていこうじゃありませんか。