堀江謙一(海洋冒険家) ・生涯、チャレンジャー
今から61年前、1962年 小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断を成し遂げた青年がいました。 その後海洋冒険家として知られることになった堀江謙一さんです。 悪天候と体力の消耗、孤独との戦いの冒険は書籍化され、石原裕次郎さん主演の映画「太平洋ひとりぼっち」でも映画化されました。 その堀江さんが去年83歳で60年前と同じ小型ヨットでの太平洋横断に再び挑み、世界最高齢でゴールを果たしました。 いまが青春の真っただ中という堀江さんに60年越しの2度の大航海とはどういうものだったのか、20代と80代の航海で何が変化したのか、伺いました。
兵庫県西宮市新西宮ヨットハーバー 約30年前に作られたヨットハーバーは西日本最大級、600艇の船が継留出来るようになっています。 ヨットの全長が6mぐらい。 休むときには足が延ばせるように、立つと頭はつかえるが、座ると頭には当たらない。 広さは畳で言うと4畳分ぐらい。 コンロと流しがあります。 反対側には無線機、電源関係、Wi-Fiがあってスマホが使えます。 61年前は毎日元気でやっていても通信方法がなかった。 今回は一日一回は家族と話が出来るという事で全然違います。 1時間に一回現在地が判る様になっていて、それをホームページでいつでも見ていただけるようになっています。 舳先の方には小さな電動で水を流せるトイレまで備わっています。 61年前にはトイレは付いていませんでした。(バケツがトイレ) 穏やかな日には外に出て身体を洗ったりしますが、波が来るので命綱をつけて洗います。 ヨット用の洗剤があり身体、食器、ヨットなどなんでも洗えます。(海水を利用) 順調に進んでくれれば楽しいです。
去年3月26日にアメリカのサンフランシスコを出発、69日後の6月4日、8500km離れた和歌山県紀伊水道にゴール、世界最高齢での単独無寄港の太平洋横断に成功。 1962年に23歳で太平洋横断を成し遂げ、60年越しの挑戦でした。 一回目に匹敵するぐらい嬉しかったです。 23歳の時には世界最年少で今回は世界最高齢という事で出来過ぎのような気がします。 ヨットは楽しいのでこうしたいという情熱があったと思います。 それが僕を動かしてくれて、特に何があったという事ではないです。 決心をしたという事ではなく、そうしたいという内から出てくるものを止められなかっただけです。 今回逆コースになりましたが、行きよりも楽しいんです。 ハワイ辺りを通ってくるんで、行きのコースは北を通って行くんで寒いが、行きのコースよりも暖かいんです。 但し距離は10~20%長くなりますが、貿易風なので理想的な風となります。
小さいころ、爆弾が落ちると家の窓ガラスが揺れるんです。 食料難時代でした。 僕がヨットを始めた1954年は戦争が終わって9年目で、ヨットというような時代ではありませんでした。 たまたま入学した高校にヨット部がありました。 高校に入る1年前にエリザベス女王の戴冠式があり、英国隊がエベレストに初登頂しあっというニュースが入って来ました。 偶然、山というものがなくなったなあと思たんです。 ベルリンオリンピックのヨット競技の映画を観たり、親戚の人が船員で外国でヨットに乗った時素晴らしかったという話を聞いて、ヨットに対するイメージは少しあったと思います。 ヨット部に入部することになりました。
高校1年生の時にフランスのアラン・ボンバールという人がゴムボートで大西洋を横断してその「ラン・ボンバール実験漂流記」という航海記がありました。 それを読んだりして段々夢が膨らんでいきました。 大西洋を二人で20フィートのヨットで横断したという記録があり、それよりも小さいヨットで、という思いはありました。 出発するのが1962年の5月ですが、3か月前に金子健太朗さんという青年が千葉県の九十九里浜からドラム缶を30個ぐらい繋いだ筏で太平洋横断するという事で出発した方がいました。 自分ではパスポートを取りたいと思ったが、法律では禁止されていなかったが取れなかった。 やむを得ず出かけてしまった。(密出国) 覚悟はできていた。 8月12日(日)の午後に着いて、一隻のヨットが黄色い旗(外国からの船)を見て、どこから来たのか尋ねてきました。 日本から来たがパスポートを持っていないのでどこに行ったらいいのか続けて言いました。 付いて行ったらサンフランシスコの市長が会いたいという事になりました。 名誉市民の幸運に恵まれました。 アメリカ人の柔軟な対応にはびっくりしました。
孤独に対する向き合い方についてですが、23歳は大人だと思っていましたが、子供だと感じました。 人間は環境に対する順応性があるので、独りでいても段々慣れてきます。 最初の1週間が一番寂しくて段々慣れてきます。 サンフランシスコが見えてきた時にはヨットとか食料があればなんとかなると思いました。 周り360度水平線しか見えないが、時計を持っているので太陽の昇る時刻が違ってくるとか、確かな手ごたえはあります。 ヨットは化石燃料は使わないし、音が静かで快適です。 嵐も2回、3回体験してゆくと強くなってゆく自分自身があります。 怖い経験をしないと強くなれないですね。 生涯、チャレンジャーでありたいと思っています。 皆さんが何かをしたいと思った時に、僕のしてきたことが参考に成ればうれしいと思います。