村山由佳(作家) ・デビュー30周年の原点回帰
最初新人賞を頂いた時には、自分が世界の中心にいるようにのぼせてしまって、これで作家を名乗れるんだと思ったが、でも若かったと思います。 それよりも作家であり続けることが何百倍大変だろうと思う事が増えました。 今30年というのが有難いことだと思います。 全く書けなかったというのが半年以上ありました。 2011年の大震災の時でした。 自分の中から言葉という言葉が消えてしまうというか。 高校生に9・11とか3・11を話す機会がありますが、9・11(2001年)などは若い人は知らないんですよね。 このように事実は風化していくのかと思うと、事実を言葉で残していかなくてはいけないのかなあと思いました。 小説って膝の上で宇宙が広がるようなものだと思います。 私が書いたとは皆さんの想像力に任せるしかないので、居ながらにして自分一人で楽しめる大宇宙が小さな本の中に詰まっているんだなと思います。
誰かと遊ぶよりは一人で遊ぶか本を読む方が好きな子ではありました。 母が本だけは私にたくさん与えてくれ、片っ端から読んでいました。 タイトルだけで作者が判りました。 小学校2年生の時に或る課題があり、私の書いたものを読んだ時にクラス中が湧きました。 以後書いたものをお昼の放送で読まれたりしました。 中学、高校時代も授業中にも見つからないように書いていたりしました。 原点は高校時代の小説だったと思います。 大学では文学部に行きましたが、アーチェリー部に入ってそっちばっかりやっていて、大学では一切小説は書いていませんでした。 不動産会社勤務、塾講師などをしましたが、その間も全然書いていませんでした。 結婚をして家庭に入った時に社会との接点がなくなってしまって、応募して『いのちのうた』で環境童話コンクール大賞を頂きました。(1991年) 環境問題がテーマでした。
1993年(平成5年) 『春妃〜デッサン』(『天使の卵-エンジェルス・エッグ』に改題)で第6回小説すばる新人賞受賞。 恋愛小説。 選考の先生方から厳しい指摘がありましたが、そのときにはわからなかったことが3年、5年と経ってゆくうちに全部当たっていると思いました。 今でも指針になります。 いまだに発行部数としてはこれが一番売れています。 映画化もされました。
2003年(平成15年) 『星々の舟』で第129回直木三十五賞受賞。 妹の様に付き合っていた千早茜さんが直木賞を受賞した時には号泣してしまいました。 自分が受けた時には実感がわきませんでした。 直木賞を受賞することによって、直木賞作家という大変判りやすい名刺を頂けるわけです。 その後の仕事が物凄くしやすくなるし、もっと自分は精進しなければいけないという事で、結果的に良い作品が生まれてゆく、そのきっかけを作ってくれる直木賞は一番じゃないかと思います。
2009年(平成21年) 『ダブル・ファンタジー』で第4回中央公論文芸賞、第16回島清恋愛文学賞、第22回柴田錬三郎賞を受賞。本作は文学賞トリプル受賞となる。 最初に結婚した時に家を飛び出したのと『ダブル・ファンタジー』が重なっていまして、腹を据えて作家生命危うくなるかもしれないというような思いでチャレンジしました。 性愛を女が我が事として書くというのがタブーではないが勇気のいる事だったと思います。 瀬戸内さんも2,3年文壇を「子宮作家」と呼ばれて干されように、それぐらい大変な事です。 それから進歩しているようでありながら見えない壁があるんですね。 私自身も非難、中傷にさらされましたが、チャレンジしていかないといけないと思っています。 ミステリー、サスペンスを書いている人にはこの人は人を殺したことはあるとは思わないが、恋愛、特に性愛に関しては、自分も経験した身近なものであるだけに、こんな過激な事絶対しているはずだと思われてしまう。 本当に伝えたい部分をドスンと伝えるように、どう刈り込んでゆくかという部分に関しては、作家の仕事をちゃんとしないとなと思いながら書いた小説です。
「ある愛の寓話」出版、一冊に纏まった時に「これは原点回帰とも呼べる作品になったのではないか」と言われた時に初めて意識しました。 官能表現、官能小説、性愛小説を突き詰めていってもあるところで行き止まりのようなものを感じていました。 言葉で表現できるものには限りがあるなあと思って、どんなに拙い性愛であっても相手への気持ちが本当に大きければ、増幅された素晴らしい体験になるだろうし、逆にどんなに過激な経験を味わったとしても気持ちがなければそれは単なるサンプルの一つでしかならない気がします。相手が人ではなくものであったり、人間ではない相手だと愛情というものの純粋さが際立つし、執着の純度も上がるが、会話が成り立たない相手とを、言葉で書いてゆくという事に興味を持ちました。
17年10か月生きた「もみじ」という猫がいますが、私はどんなに男の人が好きになった時でもこの人の為なら死ねるとか思ったことはないんですが、「もみじ」に関してはがんになった時には替わってやりたいと思ったし、亡くなった時にはついていきたいほどつらかったです。 ぬいぐるみであろうと、藤で編んだかごであろうと、人間との間に唯一無二の関係性が生じるという事はきっとあるんだろうと思います。 物語そのものはフィクションの度合いを増しますが、久し振りに物語を紡ぐのが楽しくてしょうがなかったです。
私のバイブルのようになっているのが「ごん狐」で子供心にショックでした。 世の中はこんなに理不尽なのかという事を最初に教えてくれたのは「ごん狐」なんです。 生きている間に何とか通じ合うように努力しなければいけないという風なことは、私の中で柱になって残っていて、今回寓話として色濃く表れたのではないかと思います。