大矢正成(元・JR東海野球部監督) ・「うまくいかない」あなたへ
愛知県出身、東邦高校で1977年に坂本投手とバッテリーを組んで準優勝、法政大学、JR東海の選手、監督を経て2013年から10年に渡って甲子園の高校野球放送の解説者を務めました。 今年の夏の決勝戦の解説をもって勇退されました。 閉会式では「社会に出ればうまくいかないことも多いので、高校野球で学んだ強い心があればきっと乗り切れる。」というメッセージを送って、多くの共感を呼びました。 ご自身の人生のなかでうまくいかない時に大事にしてきたことについて伺いました。
大好きな高校野球に63歳まで関われたことに対して本当に感謝しています。 計133試合を解説させてもらいました。 入社6年目の昭和62年、28歳の時に民営化となりJRとなりました。 当時社会人野球の現役の選手でした。 生活は大丈夫だろうかと一気に不安がのしかかってきました。 50代の後半で全く経験のない仕事を任されて、不安に駆られて眠れない日もありました。 そんな時に高校時代を思い起こしました。 1年生の時に対外試合1年間出場停止という経験をしています。 あの時に比べればという事が支えになって苦難に時期を乗り越えることが出来ました。 コロナ禍で様々な制約がかかってやりたくてもできない、想像できない辛い経験をしてきたと思います。 そこから学んだこと、乗り越えてきた強い心がきっと、彼らが社会に出ても支えになるのではないかと思って、閉会式であのような言葉になったんだなあと思います。 反響の多さにびっくりしました。
東邦高校の3年生の時には夏の甲子園で準優勝、法政大学へ進み、JR東海の選手、監督を経てNHKの解説者になりました。 中学3年生の時に地元の進学校に進む予定でしたが、周りの反対を押し切って甲子園に行くために東邦高校に進学しました。 入学まもなく部内不祥事によって連帯責任という事で、対外試合1年間出場停止となりました。 これは本当にこたえました。 周りからも冷たい目で見られて自暴自棄になりかけました。 そんな時母親から「なんで東邦を選んだのか。」とか言われてめちゃくちゃしかられました。 目が覚めて気持ちを立て直して逆境を乗り切りました。 それがインパクトとして残っています。 3年生の嗚咽が今でも耳に残っています。 100人以上いた部員も半分以上辞めてしまいました。 みんなの思いが3年生の夏に花が開いたと思います。
法政大学に入り、2年生からベンチ入りをさせてもらいました。 4年生の内田さんがキャプテンで3番バッターでキャッチャーでした。 春のリーグ戦は内田さんがマスクをかぶるとみんな思っていましたが、直前に練習で足を骨折してしまいました。 急遽私が代役をすることになりました。 明治との2試合目に初ヒットがレフトへのホームランでした。 私が3年生の時には木戸が2年生でずーっとレギュラーキャッチャーで出ていました。 キャッチャーのポジションを争ったことが、後々社会人になっても、我慢強さ、負けず魂に繋がって、社会人野球で8年現役という事に繋がったと思います。
トーナメントなので勝つ確率の高い選手を選ぶという事は仕方のない事です。 座右の銘があり、「喜神を含む」 昭和歴代首相の指南役と謳われた安岡正篤さんの言葉です。 「どういう立場に立たされようと、それに心を乱されることなく心の奥深い部分にいつも喜びの気持ちを抱いて事に当たればどんな運勢でも開けないものはなくその運気は上昇気流に乗って開けてゆく。」 人生を成功に導く極意ですが、自分にはこの神が付いていると思って、苦しい時、逆境の時、災難に遭った時でも心の奥に喜びをもって全力を尽くせと言う事だと思います。
名古屋放送局から2003年の時依頼がありそこで10年解説をしました。 その後に甲子園の解説をすることになりました。 40代で解説をする人が多い中で、53歳でやる事になり異質な人が来たなというような雰囲気でした。 夢がかなったのでやる気満々でした。 キャッチャーだったので配球面にスポットを当てると、キャッチャーの視点で深い試合がみられるのではないかと思って、スコアーブックをつけて勉強しながら解説をするという事で試合に臨みました。(平成16年以降) そこから段々積み上げて行って今のスタイルになりました。 一球一球、球種をつけます。 コース別にも表します。 そうすると配球の傾向も判って来ます。 試合の状況が判る様になって来ました。
一番印象に残っているのは2017年の夏の甲子園で、一回戦仙台育英高校と北海道の瀧川西高校が対戦して仙台育英高校が15対3で勝ちました。 瀧川西高校のレフトの佐野選手が地方大会でキタキツネにグローブを盗まれたというエピソードがあり、事前のアンケートに書いてありました。 佐野選手と話をして、「多分僕の匂いが好きだったと思います。」と言われて二人で大笑いしました。 3回に佐野選手がレフトフライでそのグローブで捕りました。 グローブをクローズアップで写すわけです。(スタッフに話をして頼んであった。) この時に話さないといけないと思って、その話をしました。 その後彼は市役所に就職しましたが、グローブの件で有名になって慕われて仕事にも役立ったという事でした。
長い人生、うまくいかない時もありますが、自分が出来ることを一生懸命やれば、必ず見てくれる人がいるので、そういった人が助けてくれますし、自分の信念を持って事に当たればきっといいことがあるよと、前向きな気持ちがあるといいと思います。