山路和弘(俳優・声優) ・【時代を創った声】
連続テレビ小説「ちむどんどん」では村の共同売店を取り仕切る前田善一役、アニメ「進撃の巨人」のケニーアッカーマン役、ジェイソン・ステームやアル・パチーノ、ウィレム・デフォーといった吹き替えで知られています。 どちらかというと悪役ばっかりですね。
三重県伊賀市出身。 芭蕉の生誕の地であまり忍者の里という事は思わなかったです。 僕が8つの時に父が死んでまして、旧家だったのでちゃんとしてはいけないような感じで、どちらかというとちゃんとしていました。 中学では自分をちゃかしているような感じでした。 高校時代は暗い高校生だったように思います。 高校では部活はブラスバンドをやっていました。 部長をやっていました。 クラシックばっかり聞いていました。 姉はヴァイオリンをやっていましたが、僕には音楽を習わせてくれなくて、父が美術系だったので絵を習わされました。 高校3年生の時に遠藤周作さんの「ただいま浪人中」という小説に感化されてしまい、浪人になりたかった。 東京へ大学浪人で出て来ました。 姉が青学にいき姉と一緒に住んではいましたが、予備校にはいかずに一日中公園にいたりしました。 なんか想像の世界に没頭していたんでしょうね。 その後行方をくらましてしまって、だいぶたってから友達が見るに見かねて家族へ連絡を取りました。
新宿の歌舞伎町のパブで働いていてそこの寮にいました。 民芸の劇団の研究生をいう男がその中にいました。 2年間のブランクがあり大学を受けたら通てしまいました。大学の入学金を貰って養成所を捜したら、青年座があってその第一期生という事で、受けたら通っちゃいました。 青年座の方に行ってしまいましたが、ばれた時には怒られました。 青年座では感情表現とかいろいろやっていて、エライところへ来てしまったと思いました。 養成所内に仲間が出来てきて、ちょっと明るくなった感じでした。 人前に出ることがこんなに恥ずかしいことだという事がしみじみ判りました。 何故か卒業公演で主役を任されました。 結局劇団に残って現在に至るわけです。
卒業公演で一人でいるところから始まるんですが、恥ずかしいことが裏返ってしまったような世界を見たような快感がありました。 御芝居とは作るもんだとか考えて、いろいろ覚えて行ったんですが、覚え方が正しくなかったんでしょうね。 もっと掘り下げるとか、引いて自分のことを観ないと駄目だなあと思いました。 声にコンプレックスを感じていました。 自分の声が嫌いで、自分の声は聴きたくなかった。 自分の声をどんどん作って行ってしまい、或る時(歳をとってから)こういう声はやればやるほど嘘に聞こえるんだという事に気が付いて、このままの声でいいやと思ってから、少しずつ仕事をやるようになりました。 高橋 伴明さんを紹介されてピンク映画に出たりしました。 主役に近い役をやってたりして、男女の絡み以外は比較的自由に出来て、映像の世界でいろいろ相談できる現場で凄く楽しかったです。 高橋 伴明さんは度量の広い親分みたいな人でした。
34,5歳では舞台ばっかりやっていました。 芝居を観に来てくれたNHKのプロデューサーが声優の話を持ってきて、やったら受けも悪くはかなったのでそこから始まりました。 悪役ばっかりでしたが抵抗感はなかったです。 良い役をやるのを見られるのが恥ずかしいという思いはあります。 スパイダーマンのウィレム・デフォー(悪役)、アル・パチーノ、など多数の俳優の吹き替えを持ち役とする。 声で状況を説明してしまう事は良くないと思います。
今一番若い人がやらなければいけないとことは、自分の性格というか、一番芯になるもの、それを捜してゆくことなんじゃないでしょうか。 それを持っていないと、小手先になる可能性があると思います。 教えられてきたことだけだと足元をすくわれますね。 やりたいことは息遣いが判るほどの小さな小屋で、1年に一本出来る様か環境が欲しいなあと思っています。 お客さんが見えなくなる瞬間があるが、そこが我々が一番目指しているところなので、それを目指していきたいです。