三宅裕司(喜劇俳優・演出家) ・喜劇を追求し続けて
1951年(昭和26年)東京都千代田区生まれ。 明治大学卒業後、6年間の俳優修行を経て、1979年劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)を旗揚げ。 以降座長として公演を行っています。 又、バラエティー番組の司会やドラマ、ラジオのDJなどでも活躍しています。 NHKでは連続テレビ小説1996年の「ひまわり」でヒロインの叔父役、2015年「あさが来た」では渋沢栄一を、2017年「ひよっこ」では駄菓子屋の店主を演じています。
今年71歳、60~68歳までは色々と身体の故障がありました。(脊椎間狭窄症、前立腺肥大、骨折など) 劇団スーパー・エキセントリック・シアターが60回目の公演を迎えました。(13年目) 1999年以降は毎年新作です。 新作は作っていて面白くて燃えるものがあります。 熱海五郎一座も年に2回でこれも新作です。 レギュラーも減ってきてあまり増やさないようにして、今は劇団スーパー・エキセントリック・シアターをやって、ビックバンドジャズのライブをやって、熱海五郎一座をやって、そのほかに劇団こどもSETをやって、それが大体毎年の形になっています。
高校から大学にかけて落語研究会で落語をやっていて、エレキバンド「ベンチャーズ」をやってそこからジャズコングバンドとコミックバンドをやって、学園祭とかいろいろやっていました。 母親が日本舞踊を教えていて、小学校低学年からやっていました。 その関係で三味線、小唄、長唄を習っていました。 そういったことが落語に影響しました。 叔母がSKDだったり、叔父が芸者さんの置屋をやって居たり、いくらでも芸能関係がありました。 一番下の叔父が良く映画に連れて行ってくれました。 映画館に歩いて行けるところが4つぐらいありました。 映画は良く観に行きました。 叔父たちがクレージーキャッツ、落語などのファンだったので、叔父にクレージーキャッツショーに連れて行って貰った時もあり、凄い財産になったと思いました。 クレージーキャッツがジャズ喫茶で1週間ぐらいやっていて、そのうちの何日間は行っていて、入れ替え無しでコーヒー一杯で最終ステージまで居ました。 ステージ上から植木さんから「お前まだいるのか」と言われました。
クレージーキャッツに憧れて、落語研究会で落語をやって、ミュージカルアクションコメディーという劇団を作ったのも、クレージーキャッツの影響は大きいです。 ビックバンドを聞く機会がなくなり、その生の音を聞いてもらいたいという思いがあり、いろいろ動いてビックバンドを結成することが出来ました。 ラテンビックバンド(東京キューバン・ボーイズ)とジャズビックバンド(シャープ&フラッツ)が対決するライブを叔父と一緒に見に行きました。(小学校高学年) 感動しました。 落語をやって、ビックバンドをやって、ジャズコングバンドをやって学園祭のスターでした。
大学を卒業してから喜劇役者になりたいと親に言って、劇団東京新喜劇に行くことにしました。 15人と一緒に劇団を脱退して劇団スーパー・エキセントリック・シアターを作りました。 最初の作品がみんなの不満が残る作品で、回りから演出をやってほしいという要望があり、2作目(「リボンの騎士」)から演出を手掛けてそれが大成功でした。 役をやりながら演出もやるのは大変でしたが、そのころは燃えていましたから。(28歳) 新劇出身者ばかりですが、コメディーの楽しさを判ってもらえました。
東京喜劇は、大阪喜劇のなかでいろいろありますが、藤山寛美さんの人情喜劇に近いものだと思います。 ストーリーがあってその役柄で、その役柄が変な設定に紛れ込んでしまって、真剣にやっているがおかしいというのが僕のやりたい笑いなんです。 その中に音楽のかっこよさがあって、音楽のかっこよさとのばかばかしい設定の落差が非常に大きいと思います。 そういうものが東京喜劇だろうと自分では思っています。 結局「シャボン玉ホリデー」に行きつくのかなという感じがあります。
次にどう喜ばそうかと思って、その連続で43年間になりました。 アルバイトなどをしてやっていましたが、時間が足りなくて思うようにレベルが上がらなくて、何とかレッスンをやって役者としてやらなければいけないことのレベルを上げたいと思って、マスコミに売れなければ駄目だと思って、兎に角沢山稼いでそれをみんなの給料に回して、レッスンにいれて、劇団のレベルを上げるという事をやりました。 それが凄くよかったなあと思います。
売れるようになってテレビ、ラジオにも出る様になって、うまくいかないことをテレビ、ラジオのせいにしたり、逆に劇団のせいにしたりするわけです。 いろいろとストレスが溜まってきたりしました。 人気が上がると自分は凄いんだな、天才なんだなと勘違いするわけです。 入院し外から芸能界を見ることができ、自分を客観的にみられるようになって、気付きました。 岸谷五朗、寺脇康文も自分たちでそれぞれ劇団をやりたいという事で辞める事になり、これはいかんと思いました。 三宅、小倉で何とかしていかないといけないと思いました。 結局は二人が辞めたことが三宅、小倉のコンビにはプラスに働きました。
映画『壬生義士伝』では真面目な役をやってシリアスな演技が評価され、優秀助演男優賞を受賞。 あれは大変でした。
40年以上やってきたので、若い人たちに教えておきたいと思って、劇団こどもSETをやっています。 本公演をやった次の年に子供たちだけで大人の作品をやるというコンセプトでやりました。 オーディションをやって稽古をして1年を掛けてやります。 笑いって、お客さんの前で生の舞台でやらないと絶対身に付かないと思うからです。 一言でド―っと受ける瞬間と、絶対受けると思って言った一言がシーンとしてしまう地獄の瞬間の両方を味わってほしいと思います。
「堕天使たちの鎮魂歌 夢色ハーモニーは永遠に」公演中。 今回初めて歌だけに特化しました。 歌をテーマにして爆笑音楽喜劇を作ろうと思いました。