2022年10月1日土曜日

コロッケ(タレント)          ・あおいくま

コロッケ(タレント)          ・あおいくま 

独自の物まねの世界を作り出し、人気のコロッケさん。  小さいころに教えられた母親の言葉が芸能活動など日々の暮らしの心の支えになっていると言います。   忙しいスケジュールの合間を縫って今も東日本大震災や、熊本地震などの被災地をボランティアで回る活動を続けているコロッケさん、芸能活動へのきっかけや心の支えになっている母親の言葉について伺いました。 

私は東京へ出て行った時に、凄く大変だったのは熊本弁をそのまま東京で使った事した。   物まねに関することと、普段気を付けていることをお話しさせていただききます。      本名は瀧川広志、62歳です。   小さいころ、うちは父がいなかったものですから、母が凄く強くて、壁に紙が貼ってありました。  その言葉を縦に読むと「あおいくま」となります。 「あ=焦るな、お=怒るな、い=威張るな、く=腐るな、ま=負けるな」 です。   母は「生きてゆくのにそぎゃん間違わん」と言って、子供心に「ふーん」と思っていました。   中学校に入って、うちは貧乏でしたが、貧乏を感じさせなかった母の強さと、私たちに見せなかった弱さが沢山ありました。   ごはんが買えない時に、あられ屋さんに行ってくずのあられを貰ってきてご飯の代わりに茶碗に載せて食べて、その後水を飲めばお腹がいっぱいになると言われて、大変なことを違う形で笑いに変えてくれた母が居てくれました。   中学校の時に服が欲しいと言いました。   そうしたらたった一言「自分で買いなさい。」

中学から高校2年まで新聞配達をしました。  給料が9000円ぐらいでした。  洋服を買ったら8800円でした。  母親になんか買う予定でしたが、使っちゃったと言いました。 「うん 良いよ。  あんた自分でかせいたんじゃけん。」と言ってくれて、その後もいろいろありましたが、母親のお陰で笑顔でいることが出来ました。   今でも朝目覚めた時に、「あ=焦るな、お=怒るな、い=威張るな、く=腐るな、ま=負けるな」を一回はいう様にしています。   

中学校3年の時にクラスの中でモテるために、物まねを始めました。 郷ひろみ、新御三家の物まね、特に郷ひろみでは修学旅行のバスのなかで私と判らないように隠れて「よろしく哀愁」を歌いました。   その時女子が「誰?」と騒ぎだしました。  「瀧川です。」といって期待をしていたら、「あ~」と落胆の声があり、その時終わったなと思いました。 その後ブルースリーを覚え、ギャグなどもやりました。   高校2年の時にスナックへ顔を出してコーヒーを頼んで、2回目に行った時に、小さなステージがあるのでそこで、物まねをやったら物凄く受けました。   「飲み物も食べ物もタダにするからいつ来てもいいよ。」と言われました。  新聞配達も辞めてスナックへ通うようになりました。   

19歳の時に東京に出てゆくわけです。   母に「芸能人になる。」と言ったら、「あんた馬鹿ね。」と一言言われました。  1年経たないうちに「お笑いスター誕生」という番組でデビューしました。   母はテレビを一緒に見ていた職場の人には、自分の息子だという歩は恥ずかしくて言えなかったそうです。  数年経って母がやっと「頑張んなせ  頑張らんといかんたい これからたい。」と言ってくれたのが、「物まね王座決定戦」で優勝した時でした。  

それまでは他人にたいして「あおいくま」を考えていました。  初めて優勝した時に、勝ったからと言って何なのと考えました。  部屋で何回か読み直しているうちに気づきました。   これは他人に対して思う言葉ではなく、自分に対して思う言葉なんだと、この言葉の前に自分をつければいいんだと思いました。  まず自分自身に勝たないことには相手にも勝てないと思って、自分の芸を極めて万全の状態で出来ることをちゃんとやらなければいけないと思って、そこから怒涛のごとく。コロッケとして物まねがどんどん続くわけです。   1コーラスは自分で美川憲一さんの歌を歌って、2コーラスを歌い始めると本物の美川さんが出てきてびっくりしました。   面白いやり取りがり、、そこから物まねのブームが盛り上がってゆきます。  

或る番組で五木ひろしさん、岩崎宏美さん、野口五郎さんが対談していて、岩崎さんが「私はコロッケみたいに顎は出ていないわよね。」と行ったら、野口さんは振られたくないので黙っているんです。   五木さんが言った一言が、「まだ二人はいいよ。 俺なんかロボットだよ。」(笑い)  五木さんの40周年記念コンサートでサプライズゲストで私が後ろ向きで出てきました。  振り向きざまに歌い始めました。  一瞬空気がよくなかったが、五木さんが許したうえでのことだろうとお客さんは理解しました。 その後ロボットをやるように促されやったら、お客さんも笑って喜んでくれました。   いろんな歌手の方と繋がりが出来ました。   一番物まねの番組で怒られたのは淡谷先生でした。  私をじーっと見つめて「どうしてふざけるの。」と言われてしまいました。(そういう番組ですが)    

母の言葉の「あおいくま」はずーっと心に突き刺さっているので、これを忘れないようにしなければいけないなと思っていて、10年前ぐらいに作った言葉があり、「相手が一番 自分が二番。」   相手のことを一番に考える自分がいる。  被災地をボランティアで回っている時に、自分が、と考えた時に終わっちゃうんですね。    東北、熊本でも神様はいないのかなあと思いました。  いるんだったらほんのちょっと前でいいから教えて欲しい、と思いましたが、でも神様はいっぱいいました。  それは自分のことよりも他人のことを思って動いている人たちでした。   或る女性から肩を叩かれて「なんかやって。」と言われましたが、「こんな状況では良くない。」と言いましたら、「もう一週間笑ってないの。」と言われて、五木ひろし、美川憲一、森進一をやってほしいと言われてやりました。   笑いが起きて、役に立てる事があるんだなあと思いました。  物まねをやってきたことに意義を初めて感じた時でした。  

ある事件がおきて何で「コロッケ」という名前を付けたんだろうと思いました。   炊きだしで配っている時に「コロッケが来た。」と叫ぶんです。  一日にペットボトルとおにぎり一個しかない時でした。  まさか人間の「コロッケ」だとは思っていないんです。(笑い)  

「あ=焦るな、お=怒るな、い=威張るな、く=腐るな、ま=負けるな」  「相手が一番 自分が二番。」   自分本位にならなければ、それほど間違ったことをしないのではないかと思います。