田淵久美子(脚本家) ・小泉八雲とひびきあったセツの闊達な心
NHKの大河ドラマ「篤姫」の脚本、「江〜姫たちの戦国〜」を担当し、大きく転換する時代の中でたくましく生きる女性の姿を描いてきました。 その田渕さんが先ごろ、日本の面影、怪談などで知られるラフカディオハーン(小泉八雲)の妻、セツにスポット当てた小説を発表しました。 日本に永住し、世界的にも評価の高い作品は、ラフカディオハーンとセツの出会いから生まれたという物語です。
タイトルは「ヘルンとセツ」でアメリカの新聞記者だったラフカディオハーンが日本にやってきます。 明治23年ですが、まだまだ日本は謎の多い国でした。 赴任した先が松江市でまず英語教師になります。 何故ヘルンかというと、登録した名前を文部省が間違えて、ラフカジオヘルンとしてしまった。 松江ではヘルン先生と呼んでいたということでした。ラフカディオハーンは松江から九州の熊本、神戸、最終的に東京で亡くなります。 2人の出会いは新鮮で胸を打たれるものがあります。 セツは生涯ヘルンと呼んでいたのもあって「ヘルン」としました。
セツは明治元年生まれで、士族(位の高い上士)の娘でした。 養女に行くがそこも侍の家でした。 明治維新で侍を辞めて商人になったり落ちぶれてゆく(セツの家も同様)。 セツは小泉家、稲垣家(養女先)の両方の家の家族の生活を全部見なければいけなくなった。(13歳から) ラフカディオハーンの住み込みのお手伝いさんとして入ってゆく。 二人に恋愛感情が生まれて、やがて一緒になってゆく。 セツは子供の時から物語を聞くのが大好きな女性で、その物語を語り聞かせたのが、ラフカディオハーンの手によってこの世に出てそれが海外にも出て行ったという事です。 ラフカディオハーンの研究者はいるが、セツさんとなるとまさに日陰の存在でした。
38年前デビュー直前にNHKの連続ドラマ「日本の面影」(ラフカディオハーンの著書の名前)を見て本当に面白くて、残念だったのはセツの扱われ方だった。 セツを主人公にしてドラマにしたら面白いだろうとずーっと思っていました。 ここへきてやっとセツの小説を書くことができました。
セツの祖父も父もなぜか働くことをしない。 プライドの塊ですね。 13歳から働き始めて覚悟をもって外国人の家のお手伝いさんとして入ってゆきます。 もともと女性は強い生き物だと私は思っていますが。 覚悟して行って、見事に花が咲くという感じです。 家族を捨てないという覚悟、そしてラフカディオハーンという外国人が心打たれるという事も素晴らしいと思います。 ラフカディオハーンは小泉家に入って日本に帰化すればいいという事で、セツの祖父が小泉八雲という名前を付けます。
ラフカディオハーンが日本にきてなにを見たのかという事は、私の中でも興味深いことでした。 彼は松江で3度ぐらい講演をしていますが、講演の内容まで残っていることが判りました。 そうすると勝手な創作は出来ないので、ラフカディオハーンが何を思ったのか書きたいと言ったら、最後に質疑応答のシーンを設けたらいいという事になりました。そこではいくら想像してもいいという事になりました。 質問に対して「西洋に対して卑屈になることなく、日本人として堂々と我が道を行けばよい。」とラフカディオハーンは言うんです。 ラフカディオハーンのことを書きながら、宗教とかいろいろなものを受け入れてゆくキャパの大きさ、なんと日本は面白く、おおらかな国民性なんだろうかと発見したことが多くて、それを書きたくて書きたくてそれを作り出したシーンでもあります。
日本女性の共感力は絶対外せないと思います。 他人のことを我が事のように思える力だと思います。 彼女が伝えたい事が聞きたいと思う気持ちがピタッと合わさることによって、語りたい、表現したい人間と聞きたい人間の息があったんだろうなあと思います。 ラフカディオハーンは目に見えない存在をとても大切にする人で、アイルランドの血が半分入っていて妖精を信じるみたいなところもあり、ギリシャの血も半分あるので、ギリシャ神話のように神はたくさんいるんだという感覚を持った男性だったようです。 セツも怪談を語るときもそこに幽霊がいるかのようにかたり、おびえながらラフカディオハーンは聞いていたようです。
「耳無し芳一」を書いている時にはラフカディオハーンはその世界に完全に入ってしまったらしいです。 読んでいるとぞっとします。 セツがそういった世界観を語って、物語に書き換えて行ったラフカディオハーンの腕の確かさがあったと思います。 最初の取材が3年前で、途中でパタッと書けなくなって、リアルな本人たちに私が乗っていて、創作しづらい環境を自分が作っていたという事に気が付きました。
島根県の益田市で生まれました。 朝から晩まで空を見てぼーっとしたい娘でのんびりした性格でした。 負けん気はゼロでした。 18歳で東京に出てきて、短大を出てその後仕事をするんですが、すぐ飽きてしまって長続きしませんでした。 唯一子供のころから褒められたのは文章を書くことでした。 私は脚本家になるのではないかと、予感がしました。 脚本家は匂いを書かなくてもいいが、小説は香りを書くとか、普段表現する必要のないものを全部表現していかなければならない。 私にとって小説を書くことは非常に難しいです。 脚本では演じる役者さんによって微妙に違ってしまう事がありますが、小説ではそのまま残ってくれるのでやりがいがとてもあります。
人物の成功法則みたいなものが見えてきますが、如何に人らしく、人として高い志を持ったままで生きて死ねるか、という事について言うと、こういう人物たちが教えてくださることは本当に沢山あると思います。 セツさんが特異な存在なのは、ラフカディオハーンという人が彼女を理解したことかなと思います。 今の時代のいい意味での雛型がここにあるという気がして、男性、女性が持っているそれぞれのすばらしさを持ち寄った時に何が起こるか、彼らの場合には化学変化を起こして「怪談」とかの作品を生んだと思います。
日本人のすばらしさ、日本に生まれた意味、意義、日本人にしかない何か、といったものを再確認する必要が今、この現代だからあるような気がします。 日本の誇るべきもの、ラフカディオハーンも同じことを言っていますが、「この国の宝は日本女性である。」という事だと思います。 優しさ、思いやり、この人たちがいるから日本は素晴らしいという事をラフカディオハーンは言っているが、日本人女性も再認識してほしいし、日本人男性も理解してほしい。 このいい関係こそが日本を面白く良くすると思います。 ラフカディオハーンの本を読んでもらうと再確認できると思います。