川澄寛国(盆栽用はさみ製作家) ・名工の盆栽用はさみは世界へ!
川澄さんは71歳、盆栽用の鋏で世界に知られる名工で、埼玉大学卒業後に父に弟子入りして、現在は三代目寛国を名乗ります。 盆栽は今、世界各地で愛好家が増えていますが、川澄さんが作る盆栽用挟を知らない人はいないと言われるほどの存在です。 さらに川澄さんは樹木の性質をより詳しく知るため、1998年に樹木医の資格を取得、2011年には黄綬褒章を受章しました。 刃物つくりの面白さ、品質向上への思いなどを伺いました。
私は昭和25年9月17日に生まれましたが、丁度3か月前に長男が亡くなっています。 物心つく頃からお前はおじいさんの生まれ変わりだからしっかりやらないといけないと言われてきました。 中学生の時に刃物というのは人間の生活には大変重要なものであると気づいて、案外面白い仕事なのかなと思いました。 祖父は器用な人で、医療機器とか戦時中に稲刈り機を開発するような人でした。 祖父は日本で初めて盆栽用の鋏を開発するわけですが、祖父は水戸の出で、苗木の生産をしていたらしくて、植物が好きだったようです。 鍛冶屋さんになって刃物を作るようになりました。 チャレンジ精神があった人でした。
私も小さいころから工場には入っていましたが、父親も手取り足取りは教えてはくれませんでした。 観ていていろいろな工程を観察していました。 大学を卒業後にこの道に入りましたが、20代は仕事が終わると、顕微鏡を観て、こう叩くとこうなるとか、ずーっと観ていました。 家には金属関係の先生が顧問についていて、いろいろ教わってはいましたが、自分でも独自にいろいろ工夫はしていました。 父も、良いものは世界から選んで使う、良いものを作れば世界からも買いに来てくれる、という考えみたいでした。 世界の有名な盆栽は父親の鋏で切られていました。
盆栽は海外でも「BONSAI」ローマ字なんですね。 今はやっていない国を捜すのが難しいぐらいになってしまいました。 1996年に私がインターネットを始めた頃には、盆栽と検索すると2,3ページぐらいしか出て来ませんでしたが、今は大変な数になっています。 医療用は祖父の代から作っていて、父の時代は盆栽が忙しくてほとんど盆栽がメインでした。 2000年に内視鏡の鋏を国産化したほうがいいとうちに話があり始めました。 白内障用の道具なども頼まれると作っています。 昔は頼まれてメスなども作っていました。 紙幣のデザイン用の彫刻刀なども頼まれました。
日本刀の昔の名人とかは、自分で考えて一番いい方法を常に考えていたんじゃないかと思います。 1980年代に新しい素材としてセラミックが登場し、頼まれて挑戦しましたが、良いところ、悪いところ両方判りました。 鋼はまだまだ可能性は残っていると思いまます。 CAD、コンピューター技術にもチャレンジしています。 歌にある「古い奴ほど新しいものを欲しがるものでございます。」という感じでやっています。 最近も埼玉大学で研究講座を受けていますが、興味があってやってみると結果として役に立ったという事はあります。
生物はたまたま昔から好きで、木の研究だと樹木医は勉強になるかなと思って、受験しました。 樹木医に成って盆栽は凄いなという事に気が付きました。 小さな鉢の中に100年、200年、中には千年のものがり、健康で育てられるという事は凄いことだと思いました。 もっと盆栽が樹木のカリキュラムに取り入れるべきだと思いました。 私は樹木医の制度が出来て8期目で、今は3000人近くになっていると思います。 木を知るには盆栽が一番いいと思いました。
うちの道具は平均でも30年ぐらいは使われています。 剪定鋏は入ってすぐ作ったもので1970年代ですが、そのころのものを研いでくれと言って持ってくる人がいます。 長く持つものを作ってもいいんじゃないかと思います。 鉄に炭素が入らないと硬くならないんです。 刃物の博物館、平成6年に父親が国から黄綬褒章を頂きまして、なんかお返ししなければという事で、道楽で集めていたものを皆さんに公開しようという事で、私設博物館を作りました。 父親は凄いことをやったとつくづく思っています。 1970年代初頭に英文で盆栽の道具の本を出しました。 どこの国でも盆栽は出来るという事を示しました。 盆栽を育てるには外の方がいいので、そのためにはその土地の木でないと育てるのには適さないと思います。 出来るだけ手を掛けないで育ってゆくのがいいと思います。 ヨーロッパではミラノなどは盆栽が有名なところです。 今後盆栽はどんどん広がってゆくと思います。
後継者については倅が工場の中ではやっていますが、どうなる事やらとは思っていますが。 一生懸命やっています。 左の眼がちょっと見えなくなってきて、白内障が進んできてしまっていて、入院して0.01が1.0に戻って、仕事にもいい影響が出ています。 「良い刃で、良く切り、良い世界」という思いでやって行きたいと思っています。 刃物は切れるうちに研ぎなさいと言っています、切れなくなってからでは遅いんです。