2022年9月1日木曜日

田宮俊作(会社社長)          ・プラモデル わが人生

田宮俊作(会社社長)          ・プラモデル わが人生 

プラモデルを戦後日本に広め、世界に日本のプラモデルの名を高めた人がいます。  田宮俊作さん87歳です。   今もタミヤの会長、社長として先頭に立って活躍しています。   田宮さんにプラモデルと共に歩んできたこれまでを伺いました。

コロナ禍の中でプラモデルの人気が高まってきています。  昔の製品の注文が結構あります。  日本だけでなく海外からが凄いんです。    最初にアメリカからプラモデルが入ってきた時には、余りにも簡単に出来ちゃうのでジェラシーを感じました。    こんなものはプラモデルではない、模型じゃないと思いました。    木工模型をやっていましたが、高校2年の時に木工機械が全部焼けてしまって再生できなくて、製材の機械を立ち上げてきたころにプラモデルが流入してきてしまいました。   人集めと何とかお金の都合をつけて金型を起こすことに苦労しました。    試行錯誤して戦車の金型を金型屋さんと苦労して作りました。  それが運よくヒットしました。   

早稲田大学に行きました。 兄弟7人でしたが、家を継がなければいけないと思いました。大学の卒業式の3日前にすぐ帰れと言われて、東海道線で何時間もかけて帰って来ました。 母親が後1週間持たないという事でした。  翌朝母親と20分ぐらい話をしましたが、それが僕の母親と話をした最後でした。   火事を起こしてしまって、社員もいるし、何とか盛り返さなければと思いました。   カスタマーサービスを担当して回りから喜ばれました。(木工の時からやっていました。)    カスタマーサービスという考え方は自分で考えました。   今でもカスタマーサービスは休みなしです。   土、日は8時から5時まで、ウイークデーは8時から8時までです。   壊れた部品の交換部品のをお客様に発送するときには手紙付きで発送します。  小学生だろうと大人だろうとお客様に関係ないです。   こちら側に設計のまずさがあったかもしれないし、それをお客さんとやり取りしています。  そういう手紙のやり取りでうちの社員になった人が2人います。    うちのプラモデルで楽しんでもらいたい。  それはありがたい話です。  

外国のお客さん、代理店も、タミヤだけが大きくなってはいけない、共存共栄、あなた方もタミヤと一緒に成長してください、そういう方法でやっています。   東南アジアも立派なお客さんになってきています。  今、台湾、韓国、バンコックとも仲がいいです。  東南アジアの代理店をやっている社長の親父さんの代から付き合ってますから。      僕がカスタマーサービスを始めたのは23歳で会社に入ってからです。   そういうことをやらなければお客さんに申し訳ないと思いました。   多少お金がかかってもいい印象を持ってもらえると思います。   買ってもらってうちの製品に不備があったとか、材料にもろさがあったとか、そういう事を心配します。   子供も多いですし、そういった時にはサービスします。   メーカーとしての当たり前な親切心です。   こういう事ばっかりやっていると儲からないとおもいましたが、それで信用が付きましたし、お客さにも喜ばれました。   

1965年にホンダのF1が優勝を果たしました。   1967年にドイツに行って、ニュルンベルク国際玩具見本市に出展しないと名が知られないと思って、1968年に小さいスペースを貰って出展しました。   F1だなあと思いました。  タイヤがよかったです。   ヨーロッパで日本のプラモデルを認めてもらうために勝負に出たのがホンダのF1でした。 本田宗一郎さんの考え方は違っていましたね。   羽田の倉庫に行って、図面はないですが巻き尺で寸法を測りました。  写真は時間の限り撮りまくります。  要所要所の寸法を測ります。   当時1/12というF1はなかったです。  あの大きさがよかったです。当時インチスケールのもので1/12としました。   夜中の12時に父親に物凄い反響だったと電話をしました。   会社をプラモデルで経営できるようにしなければならない、それをやらなければ無理だったんですね。 

ミニ4駆の発想は、4輪駆動という言葉がはやり始めて、4駆の雑誌が出て来ました。   4駆の時代が来るのかなあと思て、作ってみました。   これがヒットするまでに7年かかりました。   コースでレースをやるようになってからヒットしました。   最初はモーターがついて500円で買いやすかったですね。(40年前)    今、ミニ4駆のお客さんの8割は大人です。    プラモデルは或る意味F1です。  誰もが競争できる、一番身近なレーシングカーです。    

一番の原動力は、会社を立て直さなければいけないという事と、僕は模型が子供の時から好きでした。  最初アメリカに行った当時、メードインジャパンは不良品の代名詞でした。 相手にされなかった。  世界で品質で一番に成ろうと思いました。  今は品質では一番になっています。  実物は立派なストーリーがあり、そのストーリーが面白い。  前書きを読んで模型を作ってくださいと、それが面白んです、模型は前書きが重要なんです。

田宮さんはプラモデルには絶対しないものが1つだけあります、それは日本に原爆を投下した飛行機B29です。  原爆で犠牲になった人とのことを考えると、余りにも悲惨で作る事は出来ませんと言います。 アメリカに行くと必ず「ミスター田宮はどうしてB29を作らないのか」と聞かれるそうですが、その答えは「私がどうしてB29をプラモデルにしないのか、アメリカ人のあなた方が考えなさいよ。」だそうです。