2022年9月7日水曜日

原田美枝子(女優)           ・記憶が薄れても、消せない想いをとらえて

 原田美枝子(女優)           ・記憶が薄れても、消せない想いをとらえて

朝ドラ「ちむどんどん」大城房子役で出演、はまり役だねとか言われています。  西洋料理店のオーナー役で、着物にしようというのは演出サイドの方の提案です。   屋台からたたき上げて大きな店を構えたが、イタリア料理を修業に行ってそこから日本を見た時に、自分は日本文化のことを何も知らないであろうと思って、帰ってきて外国から見た日本の良さみたいなものを感じて着物を着てと言う事に設定しませんかという事でした。  47年振りの朝ドラ出演です。  「水色の時」という作品で大竹しのぶさんが主役で、私は大竹しのぶさんの弟の友達の役でした。  

「ちむどんどん」で記憶に残るシーンは従業員が3人辞めて、店を閉めましょうと言うんですが、私が厨房に入ります、というシーンのところです。  初めてコックコートを着て気持ちも引き締まりました。  包丁も練習してプロ用のものを使いました。 房子は芯を通してきた人なので、一つ一つの言葉に面白みがあるというか、ただ厳しいだけではなくて、背中を押したり、わざと落としたりして信子を育てて行く様な、そういったところがいいと思います。  結婚式のセリフもいいなあと思いながら言っていました。  「汝が立つ処深く掘れ、そこに必ず泉あり。」、ニーチェの言葉ですが、かっこいい役をやらせてもらったなと思います。  片岡鶴太郎さんの三郎役とは自分が歳をとったという事を見せたくないし、見られたくないし、というのが乙女心に有るんでしょうね。  何十年か前の気持ちに戻ってしまうんでしょうね、きっと。  

これからは信子が自分自身の本当にやりたい事というのを捜して、地に足をつけて大地に根っこを生やしてゆく時期だと思います。  ここからが本当の信子の成長の仕上げの感じかなと思います。  

一昨年公開されたドキュメンタリー映画「女優 原田ヒサ子」、自身で制作、撮影、編集、監督とすべてに関わってできた映画です。   24分の短編ですが、私の母が認知症が始まって、私は一緒に住んでいたわけではなくて、父と住んでいました。  父が亡くなってから認知症がどんどん進んでしまって、軽い脳梗塞で病院に入った時に、「私15歳の時から女優やってているの。」と言ったんです。   どうして母がそういうことを言うのかなあと思っていたら、母は私を我がことのように、一心同体になって体験をしているような気持になって見守ってくれていたんだなあと思ったんです。   認知症になって押さえていたことがハラハラ取れて行った時に、ポンと出てきた言葉なのかなあと思いました。  母は女優さんをやってみたかったのかなと思うようになって、そうだデビューさせてしまえばいいんだとひらめき、撮影してみようと思いました。   そういう事が無かったら母のことを深く考えなかったです。    

頭の中ではその世界に生きているのかなあと思いました。   ピュアな部分、一番大事にしているものとか、一番強く思っていたこととかが出てくる気がするんです。     「今は年齢的に役が難しくなってきて、子育てもあるしね」という言葉を何べんも言っているが、私が言ったとは思えなくて、母がそう思って心配してたんじゃないでしょうか。  2020年3月に公開されましたが、お客さんが街から消えた時期でそれが残念でならないです。    観てくださった人は認知症に対する考え方が変わったとか、両親を大事に思うようになったとか、感想をいただきました。  ぎりぎりのチャンスで撮ることが出来ました。   晴れ着を着て気持ちも引き締まり、美しいショットが撮れたので、普段では見られない母の顔だったと思います。   ホームページがあるのでそれを観ると案内が出ています。

映画「百花」で菅田将暉さんとW主演。 (9/9公開)  私の役はピアノ教師をしながらシングルマザーとして男の子を育てている役で、息子は結婚して外に出ています。  認知症になって行って、息子は封印していた記憶を少しづつ取り戻してゆく。   ピアノは一生懸命練習をしました。   グランドピアノの音に包まれているような感じで、撮影は終わりましたが、ピアノが好きになってしまって今でも続けています。  菅田将暉さんは息子と同年代の人ですが頼れる俳優さんで、この人と一緒に仕事が出来て良かったなと思います。  川村元気監督とは自分としては何をやりたいとか言いあったことで、この人のことは信頼できると思えたので次に進めました。   なかなかOKが出なくて、どこが悪いのか修正したくて聞くんですが、「いや、もう一回」という事になるんです。  川村さんは何度もやる事で煮詰まって来るというか、違う工程を通ると次の深みのある、その次は、そういったことでやっていたのではないかと思います。   溝口健二さんは「違います。」しか言わないそうです。  「貴方は俳優でしょ、自分で考えなさい。」と言われてしまうんだそうです。  昔はフィルムの時代で高かったので、テストを沢山重ねて本番となるので、そういう様に芝居を詰めてゆくという事は大事だと思います。   矢張り煮込んでいった方が奥にあるものが出てくるような気がします。   OKが出て泣いてしまったことが2度ほどありました。  

人は記憶で出来ている、人は主観で生きている。  一つの出来事をそれぞれ違う思いで記憶していて、その記憶の不思議さ、思い出のあいまいさ、それを息子とお母さんのかかわりの中で、最後に一番大事なものにたどり着くわけですが、それは言葉ではうまく説明できる事ではなくて、映像の持っている一番いいところ、映像には映るような気がします。  それを川村さんは映し出したかったんだろうと思います。  コロナ禍で落ち込んでしまいましたが、ドラマを観てドラマって人を元気いさせる力があるんだなと思いました。   自分は俳優なので一生懸命やろうと思って「ちむどんどん」「百花」という仕事をさせてもらって幸せでした。  元気を与えられたらいいなと思いました。