窪美澄(作家) ・心に一編の物語を
第167回直木賞を受賞した窪さん、3回目の候補作で受賞を果たしました。 窪さんは1965年東京生まれ、デビューは44歳の時でした。 デビュー作「ふがいない僕は空をみた」では本屋大賞で第二位、山本周五郎賞も受賞、さらに映画化されるなど大変話題になりました。 それ以来次々と作品を出し続けた窪さんに、小説が持つ力について伺いました。
直木賞の贈呈式が8月26日で、夏があっという間に去って行ったという感じです。 なかなか本が売れない時代なので、特に小説は売れにくい時代ではあります。 デビュー作から書店員さんから応援され続けてこれた作家なのでそこにはすごく感謝の気持ちがあります。 選考委員の浅田次郎さんからは技術的にすばらいという事を重ねて言ってくださって本当にありがたかったです。 受賞作「夜に星を放つ」は5つの物語短編集ですが、一人称の小説、自分の内面を掘り下げていかなければいけないところが非常によくできていたと浅田さんから言っていただきました。 男の子が3編、女の子が2編なんですが、男性の気持ちになって書くことが大変なところがありました。 月刊誌に掲載されたのが2015年から2021年で、一番最初の作品が「銀紙色のアンタレス」ですが、次々に進めていきました。 これを書いたほとんどの時期がコロナ禍でしたので、重苦しい終わり方ではなくて、ちょっと希望が持てるような物語にしたいと思って書きました。 コロナ禍の時に日本の人はどうしていたんだろうという事を書き留めておきたかったという事が凄くありました。 私は目の前の起きたことを無視できないということがことが強いんです。
「夜に星を放つ」の第一作「真夜中のアボカド」は婚活アプリで恋人を探し始める。 コロナ禍だからこそ人のぬくもりだとか、ふれあいとかが欲しいんだという事を強く思うようになりました。
第五作「星の随に」はモデルがいました。 以前住んでいたマンションで男の子が泣いていました。 泣き方が普通ではないし何とかしなければいけないと思って、声を掛けました。 10歳ぐらいの男の子で、私が一緒に謝りにお父さんのところに行こうかといったら、彼が身の上話を始めて、僕のお母さんは隣りの駅に住んでいてなかなか会えない、と言って離婚して新しいお母さんが来て赤ちゃんがいるんだと知りました。 一緒に行ったら若いお父さんが出てきたんですが、私のしたことが本当に良かったのかなあとずーっと思っていて、いろいろ考えてしまいました。 それが「星の随に」の物語のテーマにもなっているという感じです。 最後に少年が肩車されて歩いていきます。
小説のいいところは自分のペースで読める事なんですね。 読み返すこともできる。 時間を自由に出来るエンターテーメントなので、長く効くお薬みたいに心に残るんじゃないかという気がします。 戦争とか、大震災とか大変な現実を小説に取り込むことは非常に難しいところがあります。 それを私は一人称で書くことが多いので、その通りの気持ちにならないと書けないんです。 例えば、戦争なら戦禍の中にいるようなリアリティーを感じさせないといけないので、想像力にも限度があるのでなかなか難しいです。 虐待のシーンなどを書いていると、本当に身体の痛みを感じるような時もあり、自分を削りながら書かないとリアリティーが生まれないような気もします。 一方で、泣くほどまでのめり込んでしまうと、どうしても客観的でない文章になってしまうので、そのバランスというのが凄く難しいです。
デビュー作「ふがいない僕は空をみた」であの少年を書いた時も、こんな少年がいま日本にいるわけが無いと言われました。 でも私にはその存在が見えていて、どうしてみんなにはその存在が目に見えないのだろうと凄く不思議で、私自身もヤングケアラーであったし、周りにもいましたので、一見世間から見えない人たちを積極的に書いていかなければいけないと思っていました。
「晴天の迷いクジラ」 特に性的な描写が多かったりすると、この人は性的に経験豊富な人ではないかと思われていた節もありますが、実際にはそうではないし、作品と自分とは距離があるんですよね。 こんなものを書いてみてはどうですかと言われた方が仕事はしやすいです。
10代のころは作家になりたいと思っていました。 40歳に入ってから、このまま小説を書かないで死んだら後悔するとふっと思って、離婚もしていて、子供の学費を稼がないといけないという事もあり、小説を書いてみようと思いました。 ライターは取材した以上のことは書かないんですが、小説はそういったことがないので、自由度が高い分、やっぱり難しいですね。 私はその人物が何を食べてどう生きているのかという事を結構細かく書くんです。 食べ物でその人の経済状態が判って来ます。 この人はこんなところに興味があるんだなとか見えてきます。
「ふがいない僕は空をみた」は1話書いては終わり、2話書いては終わり、先が見えない中書いていった作品です。 最終話がああいう形で終わるとは私は思っていなかったです。学費を稼がなくちゃみたいなプレッシャーがあると割と燃えるタイプなんです。 賞に関しては意識していないです。 取りに行こうと思って取りに行けるものでは全くないので、そんなことは全く考えていなかったです。 子供は28歳になりました。 彼は建築設計の仕事をしています。
東京都稲城市に生まれましたが、酒屋をやっていましたが、父の代から段々没落して行くんです。 大変なことが起きて自己破産して酒屋はなくなりました。 母が私が12歳の時に家を出てしまって、祖母が私たち兄弟を育ててはくれましたが、弟の面倒は私がみていました。 離婚家庭の子供だったし、自分も離婚しているし、おばあちゃん子だったので、一般的な家庭からは遠かったです。 でもそういう家族の形でも全然おかしくないという事を言いたくて小説を書いているところもあります。
「アニバーサリー」2012年出版。 2011年に東日本大震災があり、それが描かれている。 週刊誌連載でした。 多くの作家はこれを書くには時間がかかると言っていましたが、時間が経ってしまうと、記憶が変わってきてしまうし、雨が怖いと思った感覚とかが、薄れてきてしまうような感じがしたので時間を空けずに書きたかったんです。 取材をするものとしないものがあります。 「晴天の迷いクジラ」では取材をしています。 鹿児島は元夫の生まれ故郷で鹿児島の言葉が好きで、そこで物語をつぐみたかった。
いないことになっている人たちを小説に書きたかった。 例えば、虐待を受けている子たちの声って、本当の声は届いているようで届いていない。 虐待の物語を書くと言うと最終的には親を許してハッピーエンドですとなりがちですが、実際の声はそんなもんじゃないだろうという気がしていて、親と円満でなくてもいいのではと、繰り返し言いたいです。 私は親との家庭環境はうまくいっていなかったが、だからと言って自分を悪く思うのはもうやめようと思って、親のことは大事に思えない自分を一番に考えようと最近は思うようになりました。 そのことを小説に書いていきたいと思っています。 両親がいて子供が二人いてそれが正しい家族だという様なことは嫌いで、シングルマザー、シングルファザー、結婚していなくてもいいし、それが家族ですよという事は繰り返し小説に書きたいと思っています。 「晴天の迷いクジラ」では解決法、答えが書いてあるわけではないが、この物語は貴方の心に寄り添いますよという事だけは私は言えるので、読んで欲しい作品ではあります。 読書は良く効く薬ではあるわけで、本屋さんに行って興味のある本を読んで欲しいと思います。
更年期という事を一つテーマに取り上げてみたいし、たくましく生きてゆく女性の物語も書いてみたいです。