前橋汀子(バイオリニスト) ・バイオリンと生きて 演奏活動60年
日本を代表するヴァイオリニストの前橋さん、今年プロとしての演奏活動60年を迎えました。 ヴァイオリンとの出会いは戦後すぐ、幼稚園の情操教育の一環でたまたま勧められたことがきっかけでした。 当時日本在住でロシア出身の音楽教師小野アンナさんに手ほどきを受けたあと、1961年17歳で旧ソビエトのレニングラード音楽院に入学、その間にプロの演奏家としてデビューしました。 以来ニューヨークやスイスを拠点に活動を続け世界的な演奏家や指揮者と共演してきました。 1980年からは日本に拠点を移し、関西の音楽大学でも指導してきました。 今も年間50回も公演を行っています。 60年間第一線で演奏活動が出来た秘訣と音楽への思いを伺いました。
60年はあっという間のような気がします。 幼稚園の情操教育の一環でヴァイオリンを始めてこんなに長く弾き続けて、いろんな経験が出来たので、ヴァイオリンを与えてくれた母に感謝しています。 当時渋谷公会堂しかなかったが、世界一流の演奏家の演奏を聞いて、子供心に私もあのように弾きたいと思いました。 同じ楽譜だけれども弾くたびに、新しい発見とか気付きがあるんです。 それが新鮮で、それの繰り返しですかね。 若いころには10~12時間練習をしました。 今はそんなには弾けないのでイメージトレーニングとか、ハンドバックに楽譜を入れていつも見れるようにしています。 今は、簡単に言うと知恵と工夫で練習をしています。 身体のメンテナンスのためにはトレーニングを欠かさずやっています。 トレーナーの人に来ていただきて体幹を鍛える事とかいろいろやっています。 数時間は楽譜を見ていろいろ研究しています。 あんまり練習すると指が痛くなってそれもよくないです。
10代の時にソビエトで厳しい奏法を訓練して沢山練習をしたことは、これまで弾き続けてこれた一番大きな基盤になっていると思います。 冬はマイナス20~30℃になり、行列して食べ物を手に入れたりする時代だったので、そんな中で頑張って勉強していたのを懐かしく思います。 文化、日々の暮らしなどから演奏の土台になるものがありました。 音楽の好きな国民ですから、そこでいい経験をさせてもらいました。 魅力のある先生、演奏家にじかにあったり、話をしたりしました。 アメリカやヨーロッパに行っていろいろな出会いがありました。 刺激を受けてニューヨーク、スイスにも暮らして、自然に触れたり、食べ物などを経験したからこそ判ったことはたくさんあります。 私の財産です。
弾くたびに新しい発見があり、表現するときの役に立っているかと思います。 引きだしが増ええているかなという感じはあります。 現役でステージに立てるという事は幸せなことだと思います。 初の自叙伝「私のヴァイオリン」を上梓。 若いころはお客さんにどう聞いてもらえるかという事を考えていましたが、最近は音楽、作曲した人に向き合うように演奏しています。 会場によっても毎回条件が違うので指使いとかも変えたりします。 山に登ってこれでいいかなあと思って見渡すと又高い山がある、という感じですかね。 その人の生き方、暮らし方とかが音に大きく反映してくるんじゃないかと思います。 若いころのように体力、気力はありませんが、知恵と工夫で考えながら、まだ挑戦できるかあなと思っているので弾き続けて居ます。 身体のメンテナンス、食事など大事だと思います。 ヴァイオリンを持つとスイッチが入って、元気になります。 ヴァイオリンこれさえなければ、と思うような時もありますが、しばらく経つとやはり戻っちゃているんですね。 性格的にもヴァイオリンに没頭することが厭ではないんです。
特に思いを寄せるのがバッハの無伴奏「ヴァイオリンのためのソナタ」と「パルティータ」、30曲以上からなるこの楽曲はヴァイオリン独奏の代表的作品です。
「ガボット」 作曲:バッハ
5,6歳ごろ弾いた曲です。 10,20代もバッハに触れていますが、そのときよりも遥かに自分の思っていることがストレートに音が表現できるようになったのかなと思います。 今でも新しい発見があります。 芸術、音楽は国籍、宗教、人種などに関係なく心が通じ合えるものだと思いたいです。 ソビエトに留学していたので今は非常に複雑な思いです。 今だからこそ音楽で会話が出来たらいいなと思います。 今まで当たり前だと思って演奏してきた毎回のステージがもっともっと大切に、いとおしく思うようになりました。