穂村弘(歌人) ・【ほむほむのふむふむ】枡野浩一
Eテレでは「究極の短歌・俳句100選ベストセレクション」という放送がありました。 東大の渡辺先生、歌人の栗木京子さんと私が短歌部門を担当しました。 千数百年の歴史の中から究極の50首を選ぶという無理な企画なんですが、50首の作者の誰かを選ぶのは結構一致しますが、どれとなると全然意見が合わない。
枡野浩一さんは1968年東京都生まれ、大学中退後広告会社のコピーライターやフリーの雑誌ライターを経て1997年短歌絵本「てのりくじら」「ドレミふぁんくしょんドロップ」で歌人デビューしました。 簡単な現代語だけで読者が感嘆、感心して褒めるような表現を目指す、感嘆、短歌を提唱されて、又短歌をちりばめた小説「ショートソング」はおよそ10万部のヒットとなり、短歌ブームを牽引しているおひとりです。 短歌以外にも絵本、童話、詩、評論を手掛け多方面で活躍されているところは穂村さんと一緒です。
「毎日のように手紙が来るけれどあなた以外の人からである枡野浩一全短歌集」というタイトルの短歌集をだしました。
18歳のころ、俵万智さんの「サラダ記念日」を母が買ってきて、見て自分でも作ったがとても作れなくて、実際に作り始めたのは20歳の時に、たまたま短歌が一気に生まれる日があって、100ぐらい短歌が出来て、最初の一首は本には出ていないんです。
「今夜どしゃぶりは屋根など突きぬけて俺の背中ではじけるべきだ」 枡野浩一 普通雨など避けたいものですが、何か大きな出来事があったのか、どしゃぶりがいっそのこと屋根など突きぬけて自分の背中を打ちつけてくれ、はじけるべきだも凄く強い言い方。 絶望みたいなものがありながら、裏返るような不思議な快感を感じます。
枡野:サークルの先輩が亡くなってしまった時に作りました。
「街じゅうが朝なのだった店を出てこれから眠る僕ら以外は」 枡野浩一 起きた人にとっては朝なんだけど店を出てこれから眠る僕らにとっては朝ではなく夜の続き、僕らは少数派なんですね。
「私よりきらきらさせる人がいる私がやっと拾った石を」 枡野浩一 一種の比喩のようなものだと思う。 自分がやっと手に入れたものをもっと簡単に最初から持っているような人がいて、それを自分よりもずっと輝かせている、というような気持ちってわかりますね。
「私には才能がある気がしますそれは勇気のようなものです」 枡野浩一 一首前の歌と矛盾するようですが、これは繋がっていると思っていて、若い時には才能とか気にするが、30,40、50代になって来ると才能のことはどでもよくなって、大事なのは勇気とかという事にじわじわ気付いて来る。 この歌は衝撃的でした。
枡野:この歌は自分らしい歌だと思います。
枡野氏が選ぶ穂村氏の短歌。
「パンツとは白ブリーフのことだった水道水をごくごく飲んだ」 穂村弘 穂村さんはある永遠的なものを捉える歌人だと思いますが、時代の刻印を押されたものに眼を向けた感じがこの歌の面白いところだと思います。
「意味まるでわからないままぱしぱしとお醤油に振りかける味の素」 穂村弘 意味まるでわからないままかけていたという感動、子供時代のことを大人になって振り返ったからこそ書ける、大人の視点があるから書けるものだと思います。
穂村氏が選ぶ枡野氏の短歌
「雨上がりの夜の吉祥寺が好きだ街路樹に鳴く鳥が見えない」 枡野浩一
雨上がりの夜の空気感がファーっと再現されるような、嗅覚、視覚、聴覚と言った感覚が複合的に表現されていい歌だと思います。
「好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君」 枡野浩一 意味の区切りと5,7,5,7,7の区切りがずれているが、しりとりみたいな感じになっていて、特別な形をしている。
「真夜中の電話に出ると「もうぼくをさがさないで」とウォーリーの声」 枡野浩一 ウォーリーを捜せと言うゲーム性のある絵本があるが、本歌取りの元ネタを歴史的に遡った過去の有名な短歌ではなくて、ジャンルが違っても同時代の横の作品、それから持ってくる技法ですが、枡野さんはそれを先駆けてやっていて、しかもこれは使い方が上手ですね。
「あじさいがぶつかりそうな大きさで咲いていて今ぶつかったとこ」 枡野浩一 「今ぶつかったとこ」という表現が不思議な衝撃がある。 魂とか脳みそとか比喩に見えてきて、新しいスタイルをここで発見している歌だなと思います。
リスナーの作品
*「このさら地なんだったっけと考える判らぬ怖さ判る寂しさ」 気まぐれウサギ
*「飛行機もトンボもバックしないから君が空へと吹くハーモニカ」 春木敦子
*印は漢字、かな、氏名の文字がが違っている可能性があります。