京田尚子(俳優・声優) ・【時代を創った声】
「それゆけアンパンマン」のおむすびまん、「ポパイ」の彼女のオリーブ役、ほか数多くの映画の吹き替えで活躍しています。
コロナ禍ですが、4回接種を終えて外へ出るのが好きで買いものなど楽しんでいます。 凝り性で、いろいろ買ったりするんですが、忙しくてなかなかできなくて、そのうちに別のところに気が移ってしまったりしています。 今はお花に興味があって本を買ってきて、生け花、など楽しんでいます。 芝居って何だろう、台詞って何だろう、声って何だろうと悩んできましたし、今でも悩んでいます。 演技は下手だと痛感していたので苦しかったです。
小学校2年生ぐらいからNHKのラジオドラマに出演。 当時は軍国主義の教育でしたが、その小学校は自由主義で、一人一人の個性をよく見て、私は俳優があっているという風に見られました。 児童劇の草分け的先生がいて、その先生がNHKのドラマも書いていて、先生が私をラジオドラマに出してくれました。 当時は全て生放送でした。 中学、高校は兵庫県の芦屋市に住みました。 蜂窩織炎による骨膜骨髄炎という骨の中に菌が入って血液によって全身に回ります。 弱い組織のところに菌が繁殖する。 戦時中で薬はないし医者もいませんでしたが、父が商社マンで戦争があるということでインドから引き上げ船で帰ってくる時に、薬を一杯持って帰って来ました。 3人この病気にかかったんですが、父が持ち帰った薬を一杯飲んで私だけが生き残りました。 そんなことで学校は半分ぐらいしか行っていませんでした。 ちょうど学制の変わり目で、中学4年、女学校5年、高校3年、どれで出てもいいころでした。 兎に角芝居がしたかったので、東京に出てきて短大に入って、芝居のまねごとをしていました。
友達が養成所があると教えてくれて、昼は学校、夜はそのに養成所に行きました。 文学座の堀越節子さんの付き人のような係になりました。 脇役や老け役志向で、「芝居というのは脇が作るのよ、ちょっと出てきてぴったりの感じの人を使わなければならない、だから脇は難しいのよ。 人生経験の豊かな、ひとこと言っても味のある深みのある、そういう人がやるものなのよ。」と母から言われました。 脇役の仕事は多く来ました。 声の幅を広げようと思って最初は声学の勉強をしました。 歌うような声になってしまって、悩んで、日本語ののセリフを旨く言うにはどうしたらいいか考えて、狂言教室に通って、怒鳴られながらも身についていきました。 努力をすれば身に付いて来る、という事が判り、それが力になりました。 義太夫も習いました。 10年やりましたが、なんて難しいのだろうという事が判りました。 三味線の心理描写、情景描写の音色に合わせて即興で作っていくわけです。
「ポパイ」の彼女のオリーブ役、高い声が出せました。 1997年ジェームズ・キャメロン監督「タイタニック」で歳をとった主役のローズ役の吹き替え。 それまでいろいろ苦しみましたが、ローズ役は全く苦しまなかった。 本人になったような感じで凄く不思議な経験でした。 「それゆけアンパンマン」のおむすびまん、男の中年がどうして私に来るのと思いましたが、いいディレクターは深いところを見てくださるんですね。 そういったことが最近になって判って来たところがあります。 おむすびまんも30年ぐらいになります。 吹き替えでは向こうの人に寄り添わなくてはいけない、自分の生理に合わなくても寄り添わなくてはいけない。 いい作品のちょっとした役、いい女優さんがやっているのはとっても楽しいです。 アニメはどっか遊び心がないと、人間を見る目が直感的に大きく捕まえる能力が有った方がいいですね。
努力すればやっぱり結果が出ると思うんです。 いっぺんどん底を見た方がいいですね。若い時にはお金を出しても苦労した方がいいと言いますが、これは本当だと思います。 苦労は未来に対する投資ですね。 若い人に対しては、本当に好きならば何としてもかじりついてやりなさい、そうじゃなかったら一回限りでも楽しんで、別の世界に動けばいいんで、今の自分を作るのは昨日の自分なので、明日の自分を作るのは今日の自分なんですね。 必ず見ている人はいると思います。 自分を大事にして捨てないことですね。 もうできないですが、アテレコの翻訳は面白いと思います。 言葉、文化、習慣、その国の生活など、それと日本の語彙、日本の文化なども知らないといけないし、それが出来たら大変な仕事だと思います。 訳すための制約はあるし、表情に合わせるように翻訳することが難しい。 生まれ変わったらこの仕事をしたいです。