前田美波里(女優) ・まだまだ現役バリバリです!
子供のころは活発で学校が始まる前に男の子らといろんな遊びをしていました。 放課後は海の方に行って遊んでいました。 小学校4年生でクラシックバレエを習い始めて、学校へ行くより楽しかったです。 森下洋子さんに憧れていました。 黒くなると仕事に差し支えるので、最近は海ではなくプールで泳いでいます。 コロナではジムがクローズになり行けなくなったのでウオーキングを始めました。 水泳を本格的に始めて4種類、一番好きなのがバタフライ、平泳ぎ、クロール、背泳ぎです。
ブロードウェイミュージカルの『ピピン』 危険が伴う役なので中尾ミエさんと私で一つの役を行います。
初舞台は15歳でした。 コマーシャルで名前が知れて声がかかりました。 東宝現代劇8期生で高校へ行きながら勉強の最中でした。 芸術座で発表会があり、舞台へ行くように菊田一夫先生たちから言われました。 東宝が手がけたミュージカルの2つ目の作品『ノー・ストリング』で初舞台を踏みました。 「王様と私」という映画を観た時に、なんて素敵なんだろうと思ってミュージカルの面白さを知り、ミュージカルにはすんなり入っていけました。
当時ミュージカルは定着していなくて、映画からは声はかかりますが、映画はやる気があるわけではなかったし、学校は余り休めませんでした。 資生堂のカレンダーのオーディションに応募して、作っていただいたポスターが有名になりました。 化粧品メーカーの150記念で似たようなコマーシャルをするということで、当時のように水着で出るわけにもいかないので、スカートが風に舞って素敵なコマーシャルを撮っていただきました。 あのままだねと言ってくださったのはとても嬉しかったです。 8月8日で74歳を迎えました。
『ピピン』ではピピン王子の祖母・バーサの役です。 おばあちゃんが自分自身がこうやって生きてきたんだと諭すんですが、ミュージカルなので歌い、しゃべり、パフォーマンスがアクロバット的なもので、昔は空中ブランコの大スターという事なので、空中ブランコに乗ってパフォーマンスをします。 高さ3mで命綱はありません。 肉体を動かして人に表現することが何よも楽しみだと思っているので。 主演の森崎ウィンさんはねずみのごとく身体が動き、ぴったりの役です。
父がアメリカ人で、若いころはいろいろ切ない思いをしました。 名前はコマーシャルで有名になってしまいましたが、女優としてはまだほんのひよっこで、いい役が付いてもそれを表現できなかったので、いろいろあったことはまあちょど良かったのかもしれません。 自分で努力して自分の名前に恥ずかしくない芸が出来るようになってから、活躍できるようになってから、幸せと思えれば本当にありがたいことだと思います。 父親の血が半分入っていて芸能界は住みずらい世界で早くこの世界を辞めて、父親が再婚して亡くなってもいるし、温かい家庭に早く入りたくて、マイク真木さんも早くに母親を亡くしていて、20歳で結婚してしまいました。 離婚も早かったですが。 でも今の奥さんとも凄く仲良しで、真木家でイベントがあると何故かお邪魔しています。
ミュージカルが定着するまでには何年もかかって、29歳の時に劇団四季さんが変わった作品をやるのでどうでしょうかとお誘いがあり、『コーラスライン』のオーディションを受けるように言われて、受けに行ったら終わっていましたが、スタッフさんが上手く入れてくれました。 そこからはミュージカルをやらせていただけるようなことになりましたが、それまでは日本に定着しないので苦労しました。 ミュージカルが定着したのは、劇団四季さんが「キャッツ」をしてからだと思います。
年齢なんて意識しないことですね。 肉体的には歳をとって来るんでしょうが、まだあんまり衰えを感じていません。
『ピピン』は 「東急シアターオーブ」で昨日から始まり9月19にまで行います。 生きるという事はどういう事なんだろう、人生をどうやって自分で切り開いてゆくのかという事に、本当にぴったりの作品なんですね。 お子さんからおじいさんおばあさんまで楽しんでいただける作品だと思います。