さくまゆみこ(NGO代表・翻訳家) ・【みんなの子育て☆深夜便 ことばの贈りもの】 本という窓をあけて世界を見よう
1947年東京都生まれ。 小さいころから本が好きで、大学卒業後一度は出版社に勤務しましたが、退社してイギリスに留学、児童文学を学びました。 帰国後は編集、翻訳をしながら大学で学生の指導に当たりました。 これまでに手掛けた絵本、児童書は250冊以上、今回 「ENEOS児童文化賞」を受賞するきっかけとなった、『エンザロ村のかまど (たくさんのふしぎ傑作集) 』はアフリカでかまどの作り方を教えることで、女性や子供の自立を促した日本人女性の活動を描いた作品です。 児童書に寄せる思いを伺いました。
ずーっと東京暮らしでしたが、娘の出産で手伝いに来て、コロナの関係もあってすべてがオンラインになってきたので、2年半ぐらい長野に住んでいます。
『エンザロ村のかまど 』という本が出ていますが、 この本が出来るきっかけになったのが岸田袈裟さんというケニアに住んでいる方です。 岸田さんがたまたま日本に来た時に話を聞いたことがあって面白いと思って、その時には編集者だったので岸田さんに本を書いてもらいたいと思いました。 ケニアに来て、私がどんなところでどんなことをやっているのか見ないと駄目でしょうと、岸田さんから言われました。 それでケニアに出かけてエンザロ村という山深い村に行きました。 子供がお産後未満児?が沢山死んでしまうという事があって、原因は綺麗な飲み水が手に入らないという事で、沸かして飲めばいいという事でかまどを考案したんです。 何度も話をしているうちにあなたが自分で書きなさいと言う事になり、自分で書くという事になりました。
2002年にケニアに行って、『エンザロ村のかまど 』という本が出たのは2004年です。 御礼に主学校に英語の本を送ったんですが、到着しなかったり、郵便局止めになっていて税金を払わないと引き出せないという事があり、空いている部屋を使って子ども図書館を作りました。 最初エンザロ村に作って、もう一つ作った後に、岸田さんががんで亡くなってしまいました。 でも続けてやって行こうという事になりました。
小さい時から本が好きで、小学校高学年で少年少女世界文学全集を購読するようになって、どんどん新しい作品を読んでいきました。 叔母がアメリカから本を送ってきてくれて、翻訳をしてみようというきっかけになりました。 「アルプスの少女ハイジ」、「マザーグース」の2冊でした。 出版社に入りましたが、子供の本を出そうという事でしたが、子供の本のことについては何も勉強してはいないし、自分に子供がいるわけではないので、大人の本の編集を希望して、子供と大人の本の編集を一時期していました。 子供の本の面白さが段々判ってきて、児童文学と言えばイギリスが本場の一つなので、イギリスに留学することになりました。
両親と子供3人という家庭の一部屋を借りて、両親が出かけた時に子供の面倒を見て、そのかわりに部屋代、食事代がただという事でした。 日本に居ては学べないことを沢山イギリスで学ぶことが出来ました。 学校で子供一人一人の状況に合わせて指導するとか、凄いと思いました。 何もないところで子供たちがクリエーティブに遊ぶというようなこともやっていました。
日本に戻って、翻訳で食べて行けたらいいなあと思たんですが、子供もできたし、別の出版社に就職しました。 上の子が小さい時に一時的に主婦をやりましたが、これは向かないと思いました。 交渉して時短で子供の世話との両立をしました。 出版社の経営が悪化してきて、辞めてフリーになって仕事をしていたりしていました。 清水雅子さんという方から大学が定年になるので後をやってみないかと言われて、引き受ける事になりました。 下調べなどを含めてやることがいっぱいあって大変でした。 本は面白いよというそこだけ伝えられればいいかなと段々思ってきました。
翻訳もやってきて250冊以上出版してきました。 翻訳は最初本を探すことから始めて、いろいろ情報を集めて書いて、出版社に持ってゆきます。 気にいった出版社があったら出してもらえる、というようなことをずっとやってきました。 出すという事になると原書の出版社と契約をして、私が翻訳者として仕事に取り掛かる事になります。
絵本は絵と言葉の出会いが面白いなと思います。 幼児、小学生とかに理解できるようになっているかとか、テンポなどを考えながら選んで行く面白さはあります。 異文化を日本の子供に伝えるという役割もあるわけで、注を付け過ぎてもいけないし、そのへんの難しさもあります。
今でもアフリカは見る、聞くが主流というところもあるんで、エネルギーが生のまま出てくるという事があったりするので、スケールが大きいなと思うものが沢山あり面白いなあと思います。 日本は同調圧力が強いと思います。 いじめなどで、今ここに我慢できないとしても、こことは違う世界がどっかにあるんだという事を知ってゆくという事も大事かなと思います。 子供の前に多様な窓を開けておくというのは大事なことの一つだと思いますので、そういったものを訳していきたい。
IBBY(International Board on Books for Young People=国際児童図書評議会)の仕事もしていますが、戦後のドイツで出来た組織で、創設者のイエラ・レップマンさんはユダヤ人でナチスの迫害にあって、戦時中は外国に避難していました。 ドイツは焚書をやっていたので本がなくて、子供にはパンも必要だが本も必要だと考えました。 戦争をした相手の国から本を送ってもらって、子供たちが読んでお互いを理解し合う、という事から戦争のない平和な社会が作れないだろうかという風に考えたんだと思います。 日本の優れた本を世界に紹介することも必要だと思って、「おすすめ 日本の子どもの本」を日本語版、英語版の両方で毎年出しています。 「おすすめ 世界の子どもの本」、日本で翻訳出版された世界の子供の本の中から、みんなに読んでもらいたいなあと思う本を選んで、毎年出版しています。 外国から避難してやってきたお子さんたちに、文字がなくても理解できる子供の本をプレゼントしようという事でやってて、ウクライナの子に対してはウクライナ語でプリントアウトして渡そうという試みをしています。 少年院ライブラリーというのが借りの名前でしたが、「明日の本棚」という名前にして、本との出会いが少ない子供たちに向けたブックリストを作っていて、少年院、鑑別所などへ向けて作っています。 本は一生の友達になるという事もあるので、本はいいよと言いたいです。