高関健(指揮) ・帝王カラヤンの教えを次世代に
高関さんは現在東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者、 仙台フィルハーモニー管弦楽団レジデント・コンダクター、富士山静岡交響楽団首席指揮者、 東京芸術大学音楽学部指揮科招聘教授を務めています。
カラヤン指揮者コンクールジャパンから45年になります。 7つ上の姉がピアノを習っていて、ついて行ってたようですが、きっかけは覚えていないです。 小学校に上がるころにN饗のテレビを見てヴァイオリンを始めるきっかけになりました。 小学校低学年の頃に漠然と指揮者への憧れがありました。 NHKのヴァイオリンのお稽古があり、それに半年やったことがありました。 東京ユース?オーケストラにいれていただいて、オーケストラでヴァイオリンを弾くという経験をしました。 ヴァイオリンを弾くのは好きでしたが練習が嫌いでした。 中学で本当に指揮者になりたいという気持ちが芽生えてきました。 斎藤秀雄先生の元に付いた方がいいと言われて、ヴァイオリンはやっておいたほうがいいと言われて桐朋学園に入りました。
1976年に東京国際音楽コンクールの指揮を受けて2次予選で落ちました。 方向に悩んでいた時に1977年カラヤン指揮者コンクールジャパンがあり、受けました。 60人ぐらい受験して3人が残り、3人が本選でベルリンフィルをカラヤンの前で指揮させてもらいました。 指揮したのはブラームスの第二交響曲の第一楽章でした。 ヴェートーベンの曲も指揮しました。 翌日から1週間練習風景を見せていただきました。 非常に細かいところまでこだわって練習していました。 カラヤンはとても緻密な人でした。 1979年くらいからアシスタントをやらせてもらうようになって、1985年まで居ました。 アシスタントなので、カラヤンからのレッスンはなかったです。 そこをもっと数えて振りなさいとか、オーケストラを見て振りなさいとか、しっかり聞いて振りなさい、一番言われたのは最も基本的な事、その三つでしょうか。
指揮者は、そこに作品があり、そこに入っているアイデャをどのように読み取って、それを具体的にイメージとしてオーケストラに伝えて、そのオーケストラが弾いてくれるか、そのために指揮と言う技術を磨くという事なんでしょかね。 間接的な作業が多いが、そこに面白みと喜びを見出すものが指揮者かなと思います。
複雑な作品になると作曲家が全部スコアに書ききれてないのではないかと感じるところがあり、オーケストラの人は正確に演奏してくるわけで、作曲家が書ききれてないことも正確に演奏してしまう可能性もあるわけで、その部分を私なりに考えて補って楽譜に少し書き込んでおくとか、実際音に出してみると、特定のパートだけをどうしても浮かび上がらせたいという気持ちが出てきたり、作曲家もそう思っているだろうと推定される部分とか、そういうところに対しては大事な成分を浮き上がらせて、ほかを少し控えるとか、そういった作業もします。 演奏会のスケジュールに入っていないものでも、常に準備をしておかないと間に合わないという事になります。 インターネットで世界の図書館の資料、楽譜がたちどころに見ることができるようになって来て、今までと違うことが見つかったりします。
45年と言うのは自分でも吃驚していますが、45年指揮者をやってこられて本当に良かったなと思います。 後進の指導もしていますが、技術的なことから行くと、大事なことはやはり手を動かしたり身体を動かしたりすることが自由に動けるようになる、という事が一番大事なような気がしています。 その方法を自分なりに見つけるという事が大事な気がします。 上手な人を真似てみるという事も大事なことだと思います。
長くやってこられたのは、演奏者に対して或る意味鈍感であったのがよかったのかも、自分の思いをある程度通すことも必要で、演奏者との音楽観の違いもあるし、違ったイメージで演奏しているかもしれないので、敏感になって対応すると振れなくなってしまうかもしれません。 それとある種の自信みたいなものが出来ていて、非常に恵まれた環境で育てていただいたと思っているので、その中で得たものは自分にとって必ずプラスになるものだと信じ込めるような、そういったものは持っているつもりです。 バーンスタインさんからは濃厚な細かいレッスンを受けることができました。 巨匠、いろいろな人たちに出会って指導していただき凄くよかったと思います。 カラヤンはきびしいところもありますが、個人と個人の関係を非常に大切にする人でした。 バーンスタインは面白い人で、喧嘩もしますが、自分のやりたいことを初志貫徹して演奏会に臨んでいます。
今月サントリー音楽賞 記念コンサート 最も自分の好みのプログラムを選ばせてもらいました。 一曲目はルイジ・ノーノと言うイタリア人の作曲家の作品、「進むべき道はない、だが進まねばならない――アンドレイ・タルコフスキーへ」 2局目はマーラーの「交響曲第7番」 私が大学生のころから好きな曲でした。