中嶋朋子(俳優) ・私のアート交遊録】 心揺さぶる言葉を求めて
子役としてスタートしたころから、言葉を書き留めていたという中嶋さん、去年「めざめの森をめぐる言葉」を出版しました。 周りの人たちから送られた言葉、家族にかけてもらった言葉、励まされ慰められ希望を与えてもらった言葉がどう中嶋さんの心と身体に染みいっていたのかが綴られています。 現在も映画や舞台を中心にラジオでの語りやナレーター、バラエティー番組に出演するなど幅広い活躍を見せている中嶋さんです。 役者として人としてコミュニケーションの根幹にある言葉とどう向き合うのか、俳優中島さんの言葉や表現にかける思いを伺いました。
TBSラジオドラマ「ラジオシアター〜文学の扉」、10年ぐらいやりました。 短編小説などから選んで、ゲストと2人で何役もこなして楽しかったです。 映像では自分の肉体もあるので制限がありますが、ラジオだと古い建物、釘、動物の役もやりました。
デビューは赤ちゃんモデルでした。 母がアート系の学校に行っていたので、友達に貸し出されていた。(絵、写真のモデル) 1975年、劇団ひまわりに入団、以来ずーっといます。 学校で習うより台本が先でした。 情景を思い浮かべながら読んでいた記憶があります。 『北の国から』で黒板蛍役を演じたのが、8,9歳の時でした。 そこでの自然体験はかけがえのないものでした。 大自然を相手に大人たちも繕うことなく、大人たちが子ども扱いするという事はやっていられなかったですね。 子供ながらに言葉を客観視する癖がつきました。
去年「めざめの森をめぐる言葉 Sleeping Giant」を出版しました。 言葉はいろんな形で降り注いでいるけれども、私たちの大いなる巨人が目覚めるために降り注いでいるギフトなんじゃないかという思いがあり、「めざめの森をめぐる言葉 Sleeping Giant」と付けました。 アイヌ語の「イランカラプテ」は笑顔でアイヌの方が「イランカラプテ」と言って挨拶してくれて、「こんにちは」の意ですが、「貴方の心に触れさせてください。」という意味が込められていると言われた時に、なんてすばらしいんだろうと思いました。 ショーン・ぺンは元々大好きな俳優さんなんですが、ハリウッドの異端児でやんちゃですが、「自分が思う程人生は逃してはいない。」と言っています。 自分を責めがちですが、ゆっくり行こうぜ、みたいで凄く肩の荷が降りたんですね。 ミヒャエル・エンデは大好きな作家です。 「はてしない物語」などが有名ですが、児童文学とかではくくれない哲学的要素があって、闇というものに対してそれを排除するという考えではなく、子供にこそ闇といういものは有るけれどもそれがあることで、輝きや光が見えてくるし、闇の中にどんな学びがあるんだろうという事をサラッといえる方ですが、「はてしない物語」のなかで、物語の答えは自分の人生でどっかから降ってくるというよりは、自分が探したから、はじめっからそこに有ったんだよという、自分が行く道の上にあったものを私はちゃんと手にしているという感覚ですかね。 追い求めてる生き方だからこそ、人生に必ず自分が手に取りたいものがやって来る、と言った希望ですね。
良かったなあと思う本も忘れてしまいます。 その一節を書き留めて、ページ数も書き留めて、その時何を思ったかも書いておきます。 自分の中に深く思ったことは別のノートに清書して、そうすると自分のための言葉が集まって来るんです。 自分の感覚こそ自分で語れるものだから、自信を持って体感したことは持っていたいと思います。
倉本聰先生は凄く小さいころから、美学という学問があるんだよとか教えてくださったり、なんだろう美学ってと普通の子供としては出会わないようなことを教えてくれました。 物語を語るうえで、大きい嘘はついてもいいが小さい嘘をついては駄目だというんです。 細かいところは徹底してリサーチをしてやりなさいと言う意味なんですが。 「北の国から」でねこという一輪車で石を運ぶシーンがありますが、普通の収録では石の下に発泡スチロールとかを入れて軽くして運ばせるという事をしますが、倉本先生はそれは駄目だと言って、重たいものを子供たちがどうっやて運ぶか、通らなければいけないものだから、そこに嘘があってはいけないというんです。 語尾を変えてはいけないと言われました。 語尾を変えるとキャラクターが変わってしまう、語尾で人格って変わるんだと気が付きました。 蛍役は9歳からずーっとだったので、自分のアイデンティティーを構築してゆく、人格形成をしてゆく中で、私自身は人格否定されるようなものなので、辛い時期がありましたが、彼女も私の一部だと思ったら楽になりました。
山田洋次監督、常に作品を構想しているような感じで、言葉のリズム、響きは大事にされます。
シェークスピアの作品は最初なんて面白くないものだろうと思いました。 喜劇的の要素の芝居を観ていた時に、人を惹きつける演説なんだなと思って、お客さんとのやり取りがあるものが見えてきた時があって、生き生きと語ることが大事で、韻を踏むというのはその流れなんだなと思って、シェークスピアはどれだけ生きた言葉として語れるか、が命なんだなと思いました。 凄く楽しくなりました。
主人との会話の中でもいろいろあります。 演技に関して悶絶している私を見て、伊藤若冲は「千載具眼の徒を待つ」という言葉を知ってるとか、主人が言うんです。 自分の表現を判ってくれる人を千年でも待つ、という意味ですが、頑張れる気持ちになりました。
田中邦衛さんは本当に温かい方で、子供に対しても敬う気持ちで接する方でした。 その姿を見て周りもそのスタンスになって行ったというのがあると思います。 18歳のころにロケ出発前にくしゃくしゃに丸めた紙を渡してくれました。 きちんと立っているあなたの姿が美しいというような内容の詩でした。 18,9歳の子娘にこんな詩を送るなんてなんて素敵な方なんだろう胸が熱くなる経験がありました。 これも本に書きました。「探せばギフトがある」、その視点を持つことが出来たことで、毎日宝探しが出来るようになりました。 それをシェアしたくて本にしました。 祖父が「骸骨」という雅号で、観音像を彫ったことがあって、招福観音と言って足元に招き猫がいる観音様です。 群馬県の海雲寺の御本尊としておいていただいています。 私のお勧の一点としてはその招福観音像です。