浦川豪(兵庫県立大学減災復興政策研究科教授)・デジタル地図で地域の防災情報を継いでいこう
1938年(昭和13年)7月、神戸と阪神間に亡くなった方、行方不明になった方695人と言う被害を出した阪神大水害がありました。 地元では阪神淡路大震災と並んで記憶されている災害です。 この阪神大水害で六甲山では総降水量が616mmを記録してもろい花崗岩の地盤が崩れ、六甲山の南側の市街地を土石流が襲いました。 この阪神大水害から80年経った2018年に記憶や教訓を後世に伝える為のホームページ「阪神大水害デジタルアーカイブ」が完成しました。 国土交通省六甲砂防事務所や自治体、新聞社などが呼びかけて、阪神大水害80年行事実行委員会を結成し、市民の手元にあった写真や手記などを集めて、当時の被害を21世紀の私たちが追体験できるようになりました。 プロジェクトのメンバーの一人で デジタル仕掛けの地理情報システムをこの「阪神大水害デジタルアーカイブ」に組み込んだのが兵庫県立大学減災復興政策研究科教授浦川豪さんです。 災害を忘れないために場所と対話することが大切だという浦川さんにお話を聞きました。
阪神大水害80年行事実行委員会が設立されて委員長が神戸大学の奥村?先生で、私に「阪神大水害デジタルアーカイブ」をどうやって作ってゆくかという事から始まりました。 「阪神大水害デジタルアーカイブ」を開くと、写真資料、動画、体験談などがデザインされて並んでいます。 80年前の事象なので、その時の記録はあまり残ってはいなくて、体験をした人に聞いて、当時の記録を収集し、アーカイブしてゆくというところから始まっています。 一番心配だったのはアナログであろうがデジタルであろうが、多く集まるのだろうか、という事でした。 私はデジタル化された地図を扱う技術を得意としていましたので、多く取り入れています。 総計で667で、写真が276、手記が92、その他です。 お借りして読み込んでお返しするという事を行いました。
5人の方々の被災の映像ストーリーがまずあります。 それに対する、資料、写真、手記などが展開していきます。 当時13歳の女性の体験では最初自宅の道の周りにちょろちょろと水が流れていたが、そのうち川のようになった。 妹は小学校の3階の講堂に避難して助かった。 姉の友人は松の木に登って助かった。 実際に体験した実感があります。 全体像の被害としては後半にありますが、それぞれの身を置いている場所がどういう場所で、災害が起きた時にどういう影響を受けるのか、想像してもらう事が大事です。 そうするとどういった優先順位で対応するか想像ができます。
その土地土地のエピソードがクリックするだけで見に行けるようになっています。 地図にはNOがふって有りクリックするとその場所の災害の写真が見られる。 場所が特定できない写真は従来載せる そして長年使えるようにしました。
横浜国立大学在学中に、1995年の阪神淡路大震災があり、それがきっかけで防災の道に進みました。 恩師からは「土地の医者に成れ」と言われました。 都市の弱点を分析して見つけて、こういう対策をした方がいいと、それを一過性ではなく継続的に続くようにする。 分析、発見のためにGIS(Geographic Information System 地理情報システム)と言う技術をマスターするように言われました。
高校生がスマホで以前作った地図情報に従って危険個所をスマホで写真に撮って、GISに送り、自動的に蓄積されます。 毎年行う事で情報が更新されます。 ハザードマップでは、住民一人一人の周辺の事柄なので、住民一人一人の周辺のスケールを変えてあげて周辺の情報と調べた情報とで、各個人オリジナルのハザードマップをテンプレートで作りました。 それをもとに避難経路を透明なシートに手書きで書き加えるわけです。 そうすると個人のハザードマップが出来るわけです。
「尼小田フェス」を年に1回やっています。 ボランティア、小田高、以外の高校などがいています。 最後に「Bloom Works 」のユニットがポップス調ですが、防災の思いが詰まった歌を歌います。 住んでいる土地の脆弱性、どう開発されたのかとか土地の歴史など自分の住んでいる土地を知ってゆくことは大事です。