泉ピン子(俳優) ・漫談からリポーター、そして女優 後編
昭和歌謡大全集でNHKで5時間やっていた時に、藤田まさと先生、星野哲郎先生などほとんど有名な作曲家、作詞家がいらっしゃって、ほとんど男のアナウンサーがしゃべって、そのころは寝るのが2時間ぐらいで、ラジオで聞いているとおじさんたちの話が何度も往ったり来たりして、いけない、いけない、とそういう思い出もあります。
1947年生まれ、東京都出身です。 銀座4丁目4番地です。 父の兄が借金で売らなければならなくなって、その後も同じ様なことを歌舞伎座の裏の木挽町やりました。 主人が東銀座で病院をやっていますが、木挽町の家の近くで、やっぱり戻るのかなあと思いました。 日本音楽学校を中退しました。 その時良く誘っていたのは加山雄三さんの妻の松本めぐみちゃんで、今でも付き合っている親友です。 小さいころは普通のお嫁さんになりたかった。 母親が違うという事を子供心に思った時に、美容師に成ろうと思いました。 本当の母は美容師だったんですが、近所のおばちゃんからそのことを聞きました。 父親が男の子を欲しがっていたので男の子を作ったら、その女性と別れて戻ってくれるんじゃないかと思って、そうしたら男の子だったんです。 でも死産でしたし、母親も死んでしまいました。 それを聞いた瞬間から、母(再婚の)とはもう駄目、母親を殺したのはこの女じゃないかと、子供心に家を出たいと思いました。 何をされても何を言われてもどうせ私は本当の子供じゃないからこういう風に言うんだろうとか、でも今思うと母には可哀そうなことをしたかなと思います。 好きな人と一緒になったんだし、理解してあげないといけないのかなあと思います。 最後まで嫌でした。
父親は広沢 虎造の弟子で、広沢 龍造と言っていました。 胸を患って浪曲作家になりました。 1966年(昭和41年)歌謡漫談家として18歳でデビュー、歌は16歳で三門 マリ子としてデビューしています。 キャバレー周りをよくやりました。 そのころから突っ張っていないと生きていけないような気がしました。 演芸場に出ている時にはポール牧さんとか早野凡平さんとか良江師匠などが可愛がってくれました。 良江師匠は食べさせてもらったし、小遣いを貰ったり一番かわいがってもらいました。
1975年(昭和50年)民放の「ウイークエンダー」に出演、私が出た時には40数%でした。見てきたことをしゃべるんですが、それは得意でした。 下半身ネタばっかりでした。 取材が多くなり一日40社ぐらいきてお金にならないのにしゃべっていて、キャバレーなどでもギャラが5万円ぐらいでしたが、テレビに出て1万5000円で、「ウイークエンダー」には出たくなかった。 テレビで失敗ばかりしていました。 「ウイークエンダー」では開き直ってやったら一夜にして有名人になってしまいました。 40数℃の熱を出してしまい、それでも出て欲しいという事で辞めることにしたら、日本テレビで干されてしまいました。 TBSの『花吹雪はしご一家』に出演、森光子さんから可愛がってもらいました。本職の役者に成ったら、みんな冷たくなりましたね。 北野武さんから「よく頑張ったね。」と言われたのは凄く嬉しかったです。 私が初めて主役をやると言った時に、みんな泉ピン子の名前の下に来るのが嫌で、みんな役者さんは断ったらしいです。 1980年に「なっちゃんの写真館」、1983年「おしん」、1992年「女は度胸」、1994「春よ来い」、2014年「マッサン」、大河ドラマは「おんな太閤記」「山河燃ゆ」「いのち」「西郷どん」に出演。 いい時代でした、面白い人が一杯いました。 「渡る世間は鬼ばかり」は1990 - 2019年まで。 「マッサン」が楽しかったです。
2019年、文化庁長官表彰 「ウイークエンダー」の時の新人賞は総なめしたと思います。 1988年日本アカデミー賞の優秀助演女優賞(「次郎物語」)、2000年「渡る世間は鬼ばかり」で菊田一夫賞、2006年に橋田賞。 終活で主人が一番困るものと言えば賞状とトロフィーなので、全部捨ててしまいました。 賞は過去なのでこだわってはいないです。 悔いは無いです、葬式もやる気ないし、戒名もなくて泉ピン子でいいと思います。 生まれてくる時が独りですし、死ぬときもそうじゃないですか。 恩人であり母のようでもあり、友達のようでもある橋田 壽賀子さんが亡くなって、母親が死んだより悲しいかなと思います。 写真盾に写真を入れて毎日お水とスイカをあげていました。 余ったスイカを毎日食べていたらめちゃくちゃ血糖値が上がってしまいました。 果糖が一番悪いそうです。 最終は何にもいらなきから健康です。
決まった仕事に穴を開けてはいけないので健康に気を付けて行きます。 台本も残っていないです、橋田 壽賀子さん、だけで1000冊以上ありますから。 過去には全く興味はないです。 これからについても興味はないです。 今、今日楽しければいいです。