2022年8月4日木曜日

山村美智(女優)            ・ハグとダンス

山村美智(女優)            ・ ハグとダンス

1956年三重県生まれ、テレビ界を席巻したバラエティー番組「オレたちひょうきん族」の初代ひょうきんアナウンサーとして女子アナブームの先駆けともなりました。  5年間勤めて退社、その後は女優としてドラマ、映画に出演、二人芝居を上演するなど活躍の場を広げました。   2019年夏、御主人に食道がんが見つかり、2020年12月亡くなるまで10回以上入退院を繰り返す事になります。    闘病生活を支えた毎日の約束が「7秒間のハグ」、ご主人との思い出を綴った著書のタイトルにもなりました。  現在は女優業のほかSNSに元気で楽しいダンス動画やご自身の朗読をアップするなど多彩な活動を続ける山村さんです。 

今は一人と犬が2匹います。   結婚した当初からハグをするル-ティーンは有ったんですが、病気になったころに何度か抗癌剤で入院した時に、「又来るね」と言ってハグをした時に夫が、「7秒間するといいみたいだから7秒間しようよ。」と言われてそれからは、抱き合って7つ数えて,ハグをするようになりました。   7秒間ハグをすると、オキシトシンと言う幸せホルモンが出るそうです。   愛情の交換みたいな「7秒間のハグ」というタイトルにしました。   亡くなって3,4カ月後から書きだしました。   書きながら涙があふれて書けない日もありましたが、書かなくてはいけないというか、小説を一つ読んだみたいな気持ちになってもらいたいなと思って、辛かったけど書きました。   

小さいころは自分を表現すること、前に出ることができない子でした。   身体も弱くて、幼稚園に出ていったら、発表会で白雪姫をやる事になっていて、キャスティングは終わっていて、急遽ウサギの役をやる事になりました。   嬉しくてお芝居みたいなものをやると自分が生きてく感じがあり、女優になりたいと思った覚えがあります。   中学、高校は演劇部に居ました。  大学卒業後は英語の教員になることが内定していたが、東京キッドブラザース」と言う劇団のチケットを購入するために並んでいたら、主催者の東豊さんが突然「貴方、女優になりませんか。」と言われました。  内定が決まっていることを忘れて、「ハイ」て言ってしまい、入る事になりました。  1年と言う約束でしたので、辞めてアナウンサー募集にフジテレビに応募しました。   自然にしゃべっているのがよかったようで採用が決まりました。   

オレたちひょうきん族初代ひょうきんアナウンサーになりました。   芝居もやったことがあるのでお笑い芸人さんの中でも耐えられるだろうという思惑もあったようです。照明の明るさにはびっくりしました。  フジテレビとしても大改革がありましたが、お茶くみとかはやらざるを得ず、いろいろ辛いこともありました。   モダン会と言う5人のグループに夫となる宅間秋史、遠藤龍之介、永山耕三、寺尾のぞみ、と私がいました。   遊びに行ったりする仲間が出来ました。   宅間はおおらかな人で私の辛いことを全部受け止めてくれました。   名も売れていたのでデートもままならず結婚してしまえば二人で大っぴらに歩けるという思いもあり、結婚しました。   芝居がやりたいという思いもあり、翌年退社しました。

2002年 主演した『私とわたしとあなたと私』が評判となりましたが、夫のニューヨーク転勤が決まり女優活動を休止しました。  日本では夫は凄く忙しかったけれど、ニューヨークでは二人の時間を楽しめました。   ニューヨークの5年間は二人の結び付きを強くしてくれました。   帰国してその後、がんが見付かりましたが、楽観的に思っていました。  夫は丈夫で私は身体が弱かったので私が先に亡くなるとは思っていました。   世の中がコロナになってしまったこともあり、私に替わって看病することもできませんでした。    最後50日付き添いが許されました。   何とか明日はよくなるいう思いでいましたが、涙がバラバラ出てきてしまいました。   意思の疎通が出来たのはほとんど前半のみでした。    まだ見ていませんが、動画で「みっちゃん 有難う。」と振り絞るように言ってくれたのは有ります。  永遠に見ないかもしれません。   夫も私も一人っ子で子供もいないのですが、人生を楽しむものが一緒になって大親友になって行きました。    

人生って、一つの土偶みたいなものを作ってゆくものだと思います。   一人で作ってゆく土偶もありますが、夫婦は一つの土偶を二人で作ってゆくんですね。  半身になってしまった感覚と言うのがあるんです。  半身になってしまっても倒れるわけにはいかないので、肉を付けて行かなくてはいけないがそれはなかなか難しいです。    私は本を書かせてもらったので、傷口に塩をごしごしした感じがあるので、思いっきり泣かせてもらったし、ぶつけることが出来て、有難かったことではあります。   悲しみが薄れるというよりは深く深く沈んでいる感じです。   自分の作品を朗読しようと思ったのは、ほかの人に読んでもらうわけにはいかないという思いと、書くこととはまた違った世界があるかもしれないと思って、体調を崩して声がかすれていましたが、スタジオに10日間通いました。   やっぱりつらかったです。      これを読んで、聞いてくれて何か感じてくれる方が一人でも多くいればいいという、使命感と言った作品という事ですね。

SNSに楽しいダンスが上がっています。   母が5月に亡くなってしまったんですが、3月の段階で、97歳で1か月入院し、無理だと言われたが、吃驚するように回復して退院して、車椅子に座っている母に犬がキスして、もう一匹はしなかったという動画がありますが、凄く見ていただいて、 210万回再生となっています。   私がダンスをするのを見て元気になると言ってくださる人が結構いて、元気になるといことであればという事で、そういった形でさせていただいています。   半分半分の気持ちがあり、どうでもいいかなと言う思いが半分あり、生きるという事は権利ではあるが、義務でもあるので、ただ息をして生きて行くのではなく、夫の口癖が「人生たのしんだなもの勝ち」と言うのがあり、楽しんでゆくのが私は仕事なので関連したものを考えながらやって行きましょう、と言うのが半分あり、こちらを広げていきたいという思いもあります。  何が一番幸せなのかと言うと、自分のことではなくて、誰かを幸せにすることが一番幸せなんですね。