2022年8月11日木曜日

加藤浩二(低山登山家)         ・超低山巡りで日本再発見

 加藤浩二(低山登山家)         ・超低山巡りで日本再発見

標高50m以下、またはその都道府県で一番低い超低山を専門に登り続け、現在全国341の超低山を制覇しました。  超低山に取りつかれたきっかけ、又その魅力はどこにあるのか、伺いました。

2004年現在で標高50m以下に登った山の数は149です。  今は155になりました。  地図に載っていない低山を含めると341になります。   一日15か所の山を登ったこともあります。   携帯自転車を持って行って岡山の主に古墳が中心でした。

山が好きで高校時代ワンダーホーゲル部で登っていましたが、日本百名山も制覇しました。  キリマンジェロも登りましたが、日本百名山を制覇して目標の喪失感を抱えていて、2000年に会社の同僚に誘われて大阪の天保山(4.5m)に登ったんですが、山の概念が一変しまして、低山登山に魅せられて低山クラブ隊長として全国低山を行脚しています。   天保時代に安治川をさらった土砂を積み上げた山なんです。  鳥羽伏見の戦いで敗れた徳川慶喜がこの地から軍艦で逃げ帰ったという歴史的事実があります。   1914年ごろは天保山は9mぐらいあったそうですが、地盤沈下で4.7mになりました。  一時期国土地理院から抹消されてしまいました。   仙台市にある日和山(ひよりやま)が6mで全国最低峯となりました。   地元の人が天保山を地図に載せることに立ち上がって、1997年に復活しました。    2011年の東日本大震災で日和山が根こそぎ流されてしまい、跡形もなくなりました。   地元の人が復興を祈ってその地に石を積んで、国土地理院も標高を測り直して3mという事が判りました。   2014年からは日和山が日本一低い山という事になりました。  日和山という名称は全国にあり、「日和」という事で天候を見るところでした。(帆船のために天候を見る。)   

低山は地元の生活にかかわりが深くて、里山、古墳、城山だったりして、神社の名前がそのまま名前になっていたりします。  その土地土地の歴史や物語が秘められています。  四国の徳島市にある弁天山(6.1m)、自然に出来た山では一番低い山です。   平安時代には海の中にある島でした。   源義経が屋島を攻める時に、この山の近くの小松島に上陸して源氏の白旗を上げてみんなを呼び込んだという歴史のある山です。  近くに旗山がありこれは再発見となりました。 

東京港区の愛宕山(25.7m)、讃岐丸亀藩の家臣の曲垣平九郎が急な石段を馬で駆けあがって徳川家光に梅の枝を献上したという話で有名です。  「出世の石段」という名前が付いています。  NHKの前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、現在は放送博物館があります。  

千葉県木更津市にある太田山(40m)、山頂に展望台があり、ここから見る東京湾は絶景です。   日本武尊が嵐の海で亡くした妻の弟橘媛を悲しんで、この山に登って海を見続けたという事で、「君不去」(きみさらず)という名前が付けられ、木更津に変化したという。  

兵庫県の唐船山(19m)、中国の唐との交易時代、唐の船が宝物を積んだまま赤穂沖で嵐で沈没して、そこへ土砂が堆積して島になったと伝えられている。    日本夕日百選に選ばれています。  

北海道釧路のお供え山(正式名称はモリシヤチャシ跡)チャシ=砦  寛延4年(宝暦元年:1751)ごろ、釧路一帯を勢力圏としたアイヌの首長・トミカラアイノが築き、その後も一族が居城したとされています。

東京足立区の小右衛門富士塚(2.3m)、富士塚は江戸中期から明治時代にかけてミニチュア富士を作って、「富士講」に行けない人が多くて、行けない人のために富士山から溶岩を持ち帰って、同様の御利益があるという事で流行りました。  開発で富士塚は潰されてしまったが、現在でも関東地方には100以上残っています。  おおきいものは15mぐらいあります。    

静岡市の船山(43.5m) 安部川という急な川があり、この川の中州にあります。  滑らない靴など完全装備して登頂に成功しました。 

広島県江田島市茶臼山(11m) 平常は海の中にあります。  潮が引かないとそこに渡れない。  私は2時間待ちましたが、4分ぐらいで登れました。  茶を挽く臼に似た山容から茶臼山と呼ばれていて全国に50ぐらいいあります。  

石川県珠洲市の岳山(37m) 岩山ですが地震で道が崩れてしまって、30分ぐらいかけて登ります。  漁業者にとっては豊漁の神様になっているんで、登頂が欠かせない。

新潟県村上市の鳥越山(50m) 断崖絶壁で途中まではいけましたが、岩山でオーバーハングしているところもあり、怖くて諦めました。 

低山は情報が少ない。(インターネットがない時代)  9割がたは道があるが1割は道がない山だったりします。  低山なりの達成感があります。  退職後は里山保全のボランティア活動に参加しています。  都会に近い低山は崩されて山ではなくなったりしています。  低山を地図に載せる運動が高まって来たりして、村上市にある稲荷山(15.3m)が2012年に新潟県の最低峯として地図に載りました。   13年越しで小笠原の飯盛山(50m)に行きました。  

行きたかった山で最近(6月)行けたのが、新潟県の日和山です。  インターネットで情報交換しています。  上野低山巡りを推奨しています。  浅草の待乳山(9.7m)、上野の摺鉢山(23.3m)、新橋の愛宕山(25.7m)などです。