2022年8月9日火曜日

佐藤和孝(戦争ジャーナリスト)      ・【戦争・平和インタビュー】 戦地から平和を問う

 佐藤和孝(戦争ジャーナリスト)    ・【戦争・平和インタビュー】  戦地から平和を問う

24歳の時、ソ連によるアフガニスタン侵攻を現地で取材したことをきっかけに、ジャーナリストといて活動を始めました。  以来、40年以上に渡ってイラク戦争、シリア内戦など20か国以上の紛争地に取材し続けて来ました。  戦場でジャーナリストが命を落とすことがあるなか、2012年シリアでは銃撃戦に巻き込まれ、公私ともにパートナーだったジャーナリストの山本美香さんを亡くしました。   それでもなお佐藤さんはウクライナをはじめ様々な地域で活動を続けています。   66歳の佐藤さんが戦場へ向かう意義、そして伝えたい事とは、話を伺いました。

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、2月に侵攻が始まって直ぐ3月現地へ向かう。    今までは内戦が多かったが、これは大変な事になったと思いました。   第三次世界大戦の可能性があると考えました。   2016年にもウクライナに取材に行きました。  ロシアの兵士も家族はいるでしょうが、ウクライナに対して虐殺したりして、人間としてやってはいけないことだとわかっていても、戦争というものはそういうことを強いられるわけです。  戦争というのは恐ろしいものです。  戦争は人を狂わせるんです。  戦争を指導する人は罪深いと思います。  人間を破壊するし、すべてを破壊する。  

今回はロシアの正規軍が人を攻撃したわけです。  キーウを攻撃してウクライナの東部だけではなくなったんです。  国対国の戦いに変化してしまった。   民間人、民間施設を狙って攻撃して、今までの戦争とは相当様子が違うなと思いました。    取材すると民間アパートが攻撃され、朝4時半に寝ているところを攻撃されたと言っていました。  自分は怪我はしなかったが、アパートの人の何人かは怪我をしたと言っていました。    冷凍食品工場を攻撃して、食料を行き渡らないようにする。   そういったことをすることでウクライナの人たちの戦意を削ごうとしている。    ロシア軍が殲滅作戦をやっていることは間違いない。 

キーウ、ブチャで虐殺が行われたが、ウクライナの警察はロシアがやったというわけです。 その段階ではロシア軍がやったという事は僕自身は判らない。    死亡解剖したり、衛星写真とか様々な方法で検証していって、一部ロシア軍が関与したという事は出てきていますが、つまり何が言いたいかというと、我々が伝えられるのは事実なんです。  そこに憶測とか自分の感情とかは入れないようにしています。   ウクライナで起きていることを知ることによって、世界に目を開いて自分たちが何が出来るのか、何をすべきなのか、そういうことを考えてもらえる材料を提示している。   

強権主義、独裁政権対自由主義、民主主義という風に完全に別れたと思います。      もし、ロシアが東部、南部を取りましたという事になって、世界から何のお咎めがなければ、世界はどういう世の中になると思いますか。  弱肉強食の世界が来るわけじゃないですか。 両方とも引けない状態で、 プーチンが引いたら当然政権は潰れるわけです。   ゼレンスキーが国境の領土をどうぞと言ったら、彼の政権を含めて自由主義社会というものが崩れてゆくわけです。   

一番痛めつけられるのは、何の罪もない一般の人たちです。  今回のウクライナでは多くの民間人が殺されているわけです。  そういったことを伝えることで何か変わってくれればいいなと思ています。   人類は戦いの歴史の中にある。  第二次世界大戦の後は地域の局地戦はたくさんありましたが、今回のように国対国の戦争は、世界秩序を変えたわけです。  

24歳からこういう仕事を始めて40数年経ちましたが、その間アフガニスタンの戦争も終わらないし、世界から戦争、暴力は消えないし、ジャーナリストとして伝えても何の意味もないじゃないかと思うかもしれないが、そんなことはないと思っています。   我々ができる事は伝え続ける事なんですね。  その情報からみなさんがいろいろ考えてくれればありがたいです。   伝え続けなければどんなことでも起こります。  例えばプーチンが核を使っても誰もわからないです。(衛星から見れば判るかもしれないが)    我々は起きている事実を伝える事です。   そしてある種の抑止力であってほしいと思います。    権力者、独裁者は世界に知られることを恐れるわけです。  我々の目は重要なことだと思います。  

最初、知りたい見たいという好奇心で写真とペンで始めましたが、自分の仕事の意味が時間と共に判って来ました。   クライアントに対する責任というよりは、取材をしてもらった人たちへの責任ですね。  長いことやってることによって考えが若いころと変わっていきました。    現場に行き続けることは、一言で言うと情熱ですね。  兎に角自分が知りたいという事です。  手あたり次第いろいろな人から聞きいて伝えます。  原動力は怒りですね、なんでこの人達はこんなことされなければならないのか。   寄り添うとかそういう事で人の話を聞いているわけではないです。  真摯に向かい合っているだけです。   

2012年ともにシリアで取材中、銃撃戦になって巻き込まれて亡くなったジャーナリストの山本美香さん、公私を共にしたパートナーを戦場で亡くしました。    今迄取材してきた自分が、逆になって答えないわけにはいかない、全力で全て答えようと思いました。   その時が一番厳しかったです。   一緒に仕事をし始めて、戦争の現場なので何があるかわからない、もしお互いに何かあった時はどんなに厳しくても、お互いに伝えるという事を約束しました。  まさか僕がそういう風になるとは思いませんでした。  ウクライナの侵攻が始まって100日ぐらいですが、世界のジャーナリストが亡くなったのは30数名で、これは異常な数です。   でも我々はひるんじゃあいけない。    ジャーナリストの目がなければやりたい 放題じゃないですか。  虐殺を伝えなければまた起きます。

戦争の愚かさ、残酷さ、狂気を伝えていきたい。  多くの人が殺されている事実。   民間人をターゲットにすることは許されることではない。  今のロシア、プーチンはそれを躊躇なくやっています。   平和であるという事は、三度の食事が出来て、仕事が出来て、家族の笑顔が見れて、安心して眠れるという事だと思います。    戦争からどうして人間は学習できないのか、それは人間が不完全だからだと思います。  ジャーナリストとして伝え続ける事しかないです。