上野和子(語り部) ・学童疎開船「対馬丸」事件を語り継ぐ
太平洋戦争末期日本の戦況が悪化した1944年8月22日夜、沖縄から本土に疎開する児童たちを乗せた対馬丸がアメリカの潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没しました。 学童など乗員1788人のうち1482人が犠牲になりました。 上野さんの母親の新崎美津子さんはこの時、引率教員でしたが、4日間の漂流の後に救助されました。 教え子の多くが犠牲になったのに自分だけ助かったという負い目から沖縄から離れ対馬丸のことを語らない母親でしたが、晩年の数年間は講演の場で悲惨な体験を語るようになりました。 上野さんは直接の体験者ではありませんが、母親の体験を埋もれさせてはならないと、8年前から語り部として活動を続けています。
今年1月には埼玉県の草加市で行いました。 200人ぐらいの方が来ました。(教職員対象) 小学校6年生の2クラスにも話をしました。 栃木市市役所会議室で50名ぐらいを対象に行う予定です。(ここでは3回目)
両親ともに戦争を経験して、母親は対馬丸事件を経験して4日間漂流してやっと助かった身です。 沖縄から離れようという思いがあり、栃木県に落ち着いたと思います。 父親は医師で無医村のところを紹介してもらったのが栃木県でした。 (昭和30年前後) 父は沖縄には病院が少なく沖縄に開業したいという思いがあったようですが、母が沖縄には帰れないという思いがあったようです。
対馬丸は元々は学童疎開用ではなくて、中国と行き来した商船で、荷物を運んで那覇に荷物を降ろして,空になった船に児童、一般の人たちを乗せて疎開する形でした。 1944年太平洋戦争末期、沖縄の学校では勉強どころではなく、兵隊さんたちの訓練で校庭を闊歩したり、教室も占拠されていた。 サイパンが7月7日に陥落して、7月19日に疎開しなさいと発令されました。 子供たちだけ本土に疎開させることに対してなかなか集まらなかった。 8月21日に出港、22日夜10時ごろにアメリカの潜水艦ティノサから発射された魚雷で沈没する。 母は児童を引率するために乗船していて、母の妹さんも同乗していまいたが、亡くなりました。 船が沈むときに私の人生も終わりだと思って、息を一杯吸って沈んだそうです。 気がついてみると浮きあがっていたという事でした。 4日目に助けられました。
1010空襲、その後壮絶な地上戦がありましたが、母は戦争のことは一切話しませんでした。助かった子供たちにかん口令が敷かれたと言います。
*「さんざめく子らを乗せたる対馬丸わが目の前で魚雷命中す」 新崎美津子
*「親を呼び師を呼び続くいとし子のはなかんばせの命のほしき」 新崎美津子
*「妹よ硬く握る手が離れ学業半ばのなんじも沈みけり」 新崎美津子
(*聞き取れず正しくない文字、漢字があるかもしれません。)
「小桜の塔」 子供たちだけを祀った塔がなかったという事で、愛知県の子供たちが1円活動して資金を作りたてた塔だと聞いています。 2004年対馬丸記念館が出来ました。
荒井退造は栃木県出身で、島田知事と共に沖縄の人たちを約20万人救ったと言われている人です。
母はいつも冷静で冗談が好きな人でした。 自分が先生だったという事は一切いいませんでした。 残された短歌を読んで当時の母の気持ちを理解するようになりました。 86歳の時に本当の気持ちを人前で吐露した時にはびっくりしました。 亡くなるまでに4回話しました。 回が重なるに従い母の表情が段々軽くなってきたのが印象深いです。 母の体験を聞いた時に、これは大変な事じゃないかと感じて、母の体験を世の中から埋もれさせてはいけないと思って、書いて応募したら載せてもらえたのがきっかけとなりました。母は90歳で亡くなりましたが、私が整理して短歌集を出版することになりましたー。
私の講演活動は8年前から始めました。 或る講演会では、最後に私を紹介する立場の先生が号泣してしまったという事もありました。 母のことを判って貰えてよかったなあと思いました。 30回以上講演をしています。 3年前、ギターリストの又吉康之さん企画の音楽と映像の集いで対馬丸の講演を行いました。 2020年に対馬丸記念館から正式に語り部として認められました。 書きたいという気持ちが出てきて、活字にしておくといいなあという思いがあり、「孫たちへの証言」へ投稿して採用されました。(2011年母が亡くなって1か月半ぐらい) 2012年短歌集「紺碧の海から」を出版。 祖母のツルと母の短歌集です。
*「鉄槌の一撃なりき夢を追うさきてあこ戦死との深夜の電話」 ツル
*「夢にあれこの夢覚めよ戦死とはごごう?にてあれとしたり?祈りたり」 ツル
*「国のためとただに耐えたる30年思いたどれば怒り沸き立つ」 ツル
*「風化させじ短き命の尊さを語り部となり世にし伝えん」 新崎美津子
*「美しきブルーの玉の我が地球何故に戦禍の絶ゆる事なき」 新崎美津子
(*聞き取れず正しくない文字、漢字があるかもしれません。)